ガラケーとスマホを両方持つ意味

Uberのブロガー記事が似たようなパターンになっていて、なんとなくステマ臭?を感じながら、それはさておき、何故日本交通の配車アプリと比較しない?!と言うのが不満だったので、そういう記事を書いていたのだけど、そういえば自分がUberに乗ってないので一度乗ってから記事を書こうと、下書き状態で保存しブラウザを閉じた。

もしUberが本格普及したら、僕はガラケーを捨てる理由が1つ増える。

今、僕にとってのガラケーの用途は、日本の携帯応用ビジネスで一番の成功例である「おサイフケータイ」という社会インフラに依存している。もちろん携帯電話というハードウエアの優れた作りの部分も評価している。壊れないし壊れにくいし、電池持つし。

今はなんでもできるスマホにみんな目が行ってるけど、今後、ウエアラブルなコンピュータが出てきたら基本的にガラケーみたいな専用機ですからね。そうなった時にガラケーの良さを再実感すると思います。

が、今のガラケーを捨てるとしたら、どうも日本発のイノベーションは期待できず、海外からの黒船によって強制的に入れ替わる可能性がどうも高いようだ。

Uberは一切お金を払わずにタクシーを降りることができると聞く。それはSuica決済よりも利便性が高いだろう。

今、モバイルSuica端末である携帯電話を維持するために、2000円ぐらい毎月支払っている。オートチャージを含めたSuica決済を維持するために毎月無駄な手数料を払ってると考えると、現金で支払うという行為を避けることに結構なコストを支払っているとも言える。

「便利な世界」とは、かくも、お金がかかる世界なのか?!それは少しアーリーアダプターすぎるからなのか?!

今の自分は利便性が上がることにお金を使うことはそんなに苦ではないようだ。結果として、おさいふケータイとは違う決済手段で生活がまかなえるようになったら、ガラケーを捨てることになるだろう。できれば安くなってくれたらなお嬉しいが、安くなること自体は、僕にとってはそんなに重要なファクターではないだろう。(今の携帯代ぐらいは許せるわけだから)

今、iPhoneとガラケーの2台持ちをしている理由に、グローバルスタンダードとしてのiPhoneと、ローカルスタンダードたるガラパゴス携帯の両面が反映されているのか、と考えると、最後の砦はやっぱり社会インフラを押さえてしまうことで、そうでないサービスはあっさりプラットフォームの変化を利用した下克上をみすみす許してしまうわけで、世の中難しいですのう、と、そういう気持ちをメモしておきたくなった。(最後は関係ない話を書いたw)

参考記事:
iPhoneがいよいよおサイフケータイに 本格o2o時代幕開けへ
昔書いた記事
F’s Garage :東京のタクシーは全車suica搭載にすべき理由

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