会社内の責任と権利の構造

いろいろ事業やら取り組みやらをやりたい時に、会社の中でどうハックするかの基本構造をダラダラと書いてみる。あまり他人に理解してもらおうと思った文章になっていなくて、自分の頭の整理のために書いているので、それについては先に謝っておきます。こういうアウトプットは、そのうちquoraの回答等で質問に対する回答形式で再利用することになりますので、わからなかったらquoraで質問などしていただけますと。

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「責任を負う」とは、何かの目的に対する達成に対する責任を持つことである。

つまり、そこで起きた問題は、すべて自分のせいであるとし、問題解決や目標達成に全力を尽くすことを約束すること。

責任を負う約束をするからこそ、その目標を達成するために必要なリソースをその人に委ねることができる。

それがヒト・モノ・カネと呼ばれるもの

まず、会社の中のマネージャの仕事、いわゆるマネジメントに関する責任と権利について考えてみる

ヒトを委ねられるということは、仕事をしてくれるメンバーが活躍すること、その人がワクワク仕事をし続けることを責任者は担保しなくてはいけない。そして、その仕事の成果を出して、その成果を担保に、昇給や昇進などの報酬に対する責任を持つことで、その人をチームのメンバーとして引き受けることができる。

メンバーにとっては、その責任者に昇給や昇進などの報酬に対する責任をマネージャに移譲することになる。

モノを委ねる、カネを委ねる、つまり予算を確保し、その予算に対する成果を約束し、モノやカネを使う。ネットビジネスにおいて、モノはクラウドを通じて解決できる時代になっているので、その他のリソースは主にカネということになる。目的を達成するためにカネを使ってリソースを確保し、付加価値を提供し、収益を上げるなどの目標に対する責任を負う。

エンジニアの上司がエンジニア出身じゃないと難しいのは、何をメンバーに委ねて、適切な期待を設定し、結果を評価することが極めて難しいからである。かつ、1on1等で共感可能な言葉で伝えられない可能性が高いからということでもある。当然、部下に対しても責任を負っているので、そのことが正しく伝えられないとマネジメントをしているとは言い難い。

次に、部下の側、エンジニアという専門職についての責任と権利について考える。

エンジニアという専門職は、専門技能を通じて、何かの責任を達成する。責任自体は、特に定義されているものではないが、基本的には技術を使った何かを提供するということになる。

技術で実現可能なアウトプットは、その人が個人的に保有しているスキルによってもたらされる。

単位時間あたりの技術力 x かける時間(工数) = 成果としてのアウトプット(質x量)

論理的に書くと、主に給与で構成される金銭契約を元に、時間リソースを会社に提供することになる。時間リソースの有用性の担保は技術力によってもたらされる。評価は結果としてのアウトプットを元に判断される。

会社が期待する責任は、OKR等やジョブディスクリプションに定められた業務を遂行することである。定形業務もあるが、不確実なまだ誰もやっていないタスクにチャレンジすることも業務のうちになる。その業務に当たることが可能かどうかは、単位時間あたりの技術力や、時間工数の実現性を中心にした、「これまで培われた信頼」から生み出される「期待」によってアサインされる。

この信頼と期待の判断が間違っていると、その人が潰れてしまったりするので、マネジメントは適切な期待 = 「ちょっと負荷の高いチャレンジ」を課すことがポイントだ。

もちろん、人によっては「とても負荷の高いチャレンジ」でも良いのかもしれないし、そうせざるを得ないタイミングもあるのかもしれないが、それもまた単位時間あたりの技術力などに構成される信頼から生み出されるものなので、結果としては、それがとても負荷が高い行為のか、ちょっとだけ重い負荷なのかは人による話であるので、適切な期待としての業務負荷にするのはマネージャの仕事である。

そして、そのちょっと高い負荷に存在する差分が結果としての成長を生み出す入力条件になる。もちろん、負荷が高くなくても想定し得なかった問題が起きて、それをこなすことでも成長は生まれる。

業務遂行に対する対する権利は、適切な生産性を実現するためのPCなどのツール類や作業スペースなどを確保することと、業務を最適にこなす時間を得る権利である。リモートワークなどもこの中に含まれる。

原則的に会社やマネージャは、業務の中で「ちょっと高い負荷」を課すことを考えることが仕事となる。その人に対して適切な期待を課して、その業務を無事にこなすことで、新しい信頼が生まれる。ここで生まれた信頼を元に評価を行い、次なる期待をかける時に、昇給として先行投資をすることが可能になる。

長々と書いてしまったが、基本的に権利に対しては責任がセットになる。

新しい取り組みや新しいビジネスをしたい場合は、ヒト・モノ・カネを扱う権利を得ることで、何かを行うための裁量を得るのだが、それによってなにかの責任を負うという宣言が不可欠である。その宣言に対して、期待し、ヒト・モノ・カネを投資する決断をするのがマネジメント判断、経営判断ということになる。

その宣言から得られるものは成果に対する期待である。適切な期待は実績という信頼が下地になる。そのため信頼から見て、その宣言が非現実的に見えてしまったら通らない可能性も高いし、現実的であろう期待を得ることができればチャレンジする機会を得ることになる。

また宣言そのものの論理に道理が通っていなければ話は通らないということになり、一般的には事業計画などの数値を作り、その成果を定量的に判断できるようにして約束することになる。OKRもある意味、成果に対するコミットメントの明細を定量的に宣言する手法とも言える。

この世の人間が判断可能なもので不確実なものの全ての判断は、期待で構成されている。

また、もしも失敗する可能性の高いチャレンジをしたいのであれば、他人に期待させることなく、自分の時間や自己資金で何かをやれば良いと思うが、不確実性を共有し、期待としての権利を得ようとするためには、成果を明示化して、権利を獲得するという段取りが重要ということになる。

特に経営者の心を動かしたければ「絶対にそれをやりたい理由と、その結果得られるもの」を示し、その実現に全力を尽くすことが求められる。

特にスタートアップ経営者は、投資家に対してまだ実現するか否かもわからない事業目標を約束して、その個人への期待を元に出資を得て事業を行っているので、そのバジェットを何かに引き出そうと思ったら、同じ論理のサブセット版として期待を得ることが話を通すコツと言える。その期待を得るための方法論が「稟議」という仕組みである。雇用契約を通じて、仕事に対して期待を得る権利と、期待を得るために自らの思いを主張する権利を持っている。

(そして、そのような適切な期待を生み出せる人は高い評価を得られやすいと考えて良い。全体的にはレア人材なので。)

それ以外の定常的に存在する取り組みについては、「予算」という形で予め計画しておくこととなる。福利厚生などがそういうものに含まれる。ただし、そのような予算も、全ては何かの成果を生み出すことを目標としていて、期待する成果を誰かが約束しているんだということは知っておくと良いと思います。あらゆる企業の活動のスーパークラスには、事業目標を実現するための意思決定が存在していて、それを取り回すのが経営ということになるわけですね。

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