社会人における博士号取得のメリット

社会人において博士号を取ることのメリットというのを考えていた。

博士号を取った成果とは、つまりは「博士課程という教育プロセスにおける成果は何か?」ということで、それ以上でもそれ以下でもないべきだが、ポイントは「自分の研究という限られたスコープにおいて徹底的に叩かれることに負けなかった証」なのだと思う。

その研究そのものの良し悪しに関係なく、公聴会や学会、日常の指導において、疑問だと思われるところ、ツッコミどころについては徹底的に質問されて、その回答をしていかねばならないし、己の研究を学位論文に網羅していかねばならない。

ツッコミに対して負けずに、腐らずに、議論していくことで研究の中身は研ぎ澄まされていくことが問われる。

社会人において、この「ツッコマレビリティ」が決定的に欠けている人を結構見かけることが多い。

要は人から文句を言われると、心が弱くて、すぐに傷ついてしまったり、機嫌を損ねてすねてしまったり、相手のことを過剰に嫌ってしまったり、本音を言い合うのを避ける人たちだ。

ところが、プロダクトはそんなところで拗ねていることを待ってはくれない。

スタートアップであれば、お金が尽きるリミットへのカウントダウンを着々と刻んでいくだだけだし、製品ライフサイクルの早い時代において、ライバルに置いていかれるだけだ。

スピードへの適応は、実装力だけで実現できるものではない。

何故なら、

「成長産業であれば常にエンジニアリングリソースは足りない」

ということが正常な状態なのだから、その中で取りうる手は

「限られた実装機会の中で、どう最適なアウトプットを作るか?」

というビジネスゲームに勝つための徹底的かつ高速な議論が不可欠だ。どんなにエンジニアが優秀でも1人日の生産性は限られている。そのプロダクトの技術的価値に相対的に実現する量には限界はある。

この議論に、誰かの感情による遠慮は本当は無用である。だが感情は大切なので、プロダクトマネジメントをする人は、徹底的な議論を行い、決断し、開発メンバーをアトラクトしていかねばならない。

彼らの脳内が嫌々な状態では、到底コードを書くことへのパフォーマンスなどは出ない。その行為がプロダクトにどう貢献し、どう成長していきたいのかを指し示して、この開発は絶対に必要だ、間違いないということを納得してもらった上で、実装してもらわねばならない。

そんなことはプロダクトマネージャの当たり前の仕事であるわけだが、あえて博士号取得者の獲得スキルとしては、このようなことを自分の研究が「如何に有用で、何に貢献し、何が新しいのか?」を公聴会のような限られた時間の中で説得することで学位を取ってきたのだから、こういうことにはみんな得意なハズ、、ですよね?!きっと。

博士号というと、そこにある専門性ばかりに注目を浴びるが、本当は、このような議論を勝ち抜いてきて、主査副査の先生方に認められてきたことが一番重要なのではないだろうか。そのような経験に支えられる自信が、議論の粘り強さに影響を与えるのであれば、博士号を取る意味も高いものにあると考えられる。

それと同時に、社会において博士号取得者に対して、このような評判がないのは何故なのだろうと考えるところではある。

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