Webサービスの守り神、守り女神

Webサービスは24時間動いているのでいろんなことが起きる。いろんなことが起きるのがWebサービス。そこで起きるいろんなことをひたすら関心を持って監視している人を「サービスの守り神」として祀ってみることにした。

もともと監視といえばサーバ監視が代表例だが、サーバ管理はむしろ自動化する方向に行っている。もちろんSREなどで、送られてくるアラートについて関心を持っている人も守り神。

そうでなくてもサービス上に表示するコンテンツがおかしいことになってないか?を休日構わず関心を持ってくれている人も守り神。売り上げや流通総額などを見守っていて、いつでも改善することを考えている人も守り神

将来的に時代が変わると、これを労働とみなして給料くれ、みたいな話になる可能性はあるのかもしれないが、今のところは、一つのビジネスコミットと見ることもできる。

微妙なことを書くので誤解されないと良いが、個人的に期待する「正社員」の存在意義というのは、自社のビジネスについて「何かのステートを持つ」ということなのかなと思ったりしている。

何かのステートを持つというのは、労働契約とは100%連動せずとも、心の中で関心を持って動向を見守りながら、常に頭のマインドシェアの一部を携わるサービスに傾けている状態、とでも言えるだろうか。

僕らの場合はECだから、例えば休日にイオンモールに行けば、イオンで行われている集客施策をついついプロの目線で見て、自分達でも参考になる工夫はないか?とかを考えてしまったり、とかそういうののマインドシェアを専有しているという意味になる。

そういうところから「このビジネスはこうあるべきだ」というビジョンが生まれる。そのビジョンがズレていなければ、どこかの何かのきっかけで信頼が生まれて、結果としてそれを生業として定義づけられるのが管理職であったりプロマネだったり、プロジェクトマネージャだったり、まあいろいろあるが責任者やリーダーというステータスにつながっていくのかなと。まして、Slackなどのチャットツールで、起きていれば24時間いつでもどこでも会社のメンバーと意見を交わすチャンスはあるわけですし。

というのも、全員が一般労働契約である普通の企業でも、いわゆる課長級という管理職になると、残業時間という概念がなくなって裁量労働になるので、よく課長に出世すると給料が減る、みたいな話が言われたりするが(実際はその後の給与の伸び幅が変わってくるので、あくまでも短期視点なのだが)、その価値観を自由という概念に置き換えると、責任が重くなる分、さまざまな自由度が上がるのとトレードオフになったりする。

それ自体の良し悪しは置いておいても、重要なのは、労働時間にしばられなくても責任をまっとうしてくれる信頼を得られた人が出世するモデルだと考えると、労働時間にばかりとらわれている人は、あまり出世には向いてないと考えることは不可能ではないだろう。

そもそも、責任は無理やり与えられるものではなくて、責任を持てそうな空気感を醸し出している人に期待されて任されるものだったりするかなと。

まぁこんなことを明示的に書くといろいろ叩かれそうなことも思いつくんだけど、だからそれを目指して社畜になれ、とかそういうことじゃないんですよね。

言いたいことは、そういうことができる人は趣味に近くて、自然にやってるんだよね、ということ。

趣味が講じて仕事にしてしまった自分の例として、以前、僕はモバツイというサービスをやっていた。当時、ろくな監視を作らずとも良かったのは、自分が最大のモバツイユーザーとして常にサービスを監視をしていたから、というのがある。

もちろんそれは属人的すぎるので他人に押し付けられるものではなく、組織化をして任せていく段階で、ITシステム化をすることが望ましいのだが、その是非を問いたいのではなくて、そういうマインドセットがある人が信頼されやすいかなと思ったりしたということ。

でも、誤解してほしくないのは、そんなの楽しく無ければやらないし、僕だって他人から言われた義務では、そのようなことはできないし、それそのものの存在がストレスになる。

だから、わざわざ言われるようなものではなく、自然にやれる人は自然にやっていて、そういう人が一番、その領域に詳しいハズなのだから、リーダーになったり出世したり高い評価を得られるのは自然だったりするのかな、とは思ったりする。

(もちろん、それが100%の必要条件でも十分条件でもないんだけど)

オープンソースで技術を追いかける人も、その中の一つかなと思ったりはしますね。ただ、それはそうじゃない人には絶対マネできないし、マネしても疲れるだけだから、そこをストレスためてもやるものじゃないですよね、という話になるのかなと。

残念ながら向き不向きというのはあるし、もしそこじゃないなら、そこじゃないところに自分の関心を持てる領域を探して見つかれば、それはそれでハッピーだし、そうじゃなくても、あんまり気にしすぎない方がいいですよ、ということになる。ニュータイプには勝てないことを認めれば楽になるわけで。

(かと言ってそういう人達の足を引っ張るのはやめようね)

考えようによっては、この話は「◯◯な人は必ずやっている教え」みたいな話なのかもしれない。面と向かって、これをやってほしい、みたいなことは労働法が死んでも許さないので、その効用に気がついたというか素でやってる人だけがその効用を得ることができる。案外法律も残酷だと思いますよ。

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