いくつか会社を経験してきたけど、ここ最近、一番思い出すのは、何社か前の受託を生業にしていた会社のこと。
多分、会社の規模や、抱えている状況が類似しているからなんだと思う。
当時、僕もマネジメントについては初めてで付き合い方に、すごく悩んだことがある。どうやって同じ方向、望む方向に向いてくれるだろうか、とか考えていた。そういう時は、休日はプールに行って泳ぐんですよね。プールに潜ってる時は極端なことを言えば生死に関する状態なので、生存を維持するために、何も考えなくて、ただそのことに没頭できる。
一方、土曜の夜とかに埼玉くんだりから、六本木のABCとかツタヤに行って、マネージメントの本だとか、当時、光り輝いていたライブドアの堀江さんの本を読んだり、またソフトウエア開発プロセス関連では、トム・デマルコの本を代表とする、マネジメントや開発プロセスをどうやったらうまく進められるか?について読んだりして、勉強しまくっていて、将来への夢を見たり、その状況を楽しもうとしていたのもまた事実。
その頃、ちょうど必要に迫られてIAに目覚めてコンセントの長谷川さんところの勉強会にお邪魔したり、後に情報設計オフを開いて結果的に今にも繋がる人脈に繋がったりしたのがその頃。
要は問題解決は前向きに学ぶことで問題を解決する時期だったわけです。そういう意味では一番の成長期だったんだろう。
その時にたどり着いたのは、ストレスは別のことでは解消できないので、要因を解決するために戦うしかない、という部分と、問題を全部捨てて逃げれば楽になったという2つの事実。
その時の最後は、奥さんの一言で逃げ出す決断をした。その状況をこなすだけの力がなかった。
まあ、その後、いろいろ幸運があって結果的に僕の人生にとっては良かったんだと思う。ただ会社には迷惑をかけていて、それなりにそれなりの立場があり、期待もされていたと思うので申し訳ないなという気持ちが強い。
辞める直前は、ちといろいろスキルや見識が足りないと思っていて、大学院に勉強しに行こうかと思って説明会に行ったりもした。ただ当時は望むカリキュラムはなかったので残念ながら諦めて、それが10年後のKMDとして帰ってきたり、だとか人生はわからないものだ。
今が当時と比べて違うのは、当時は僕の上にCTOがいたのに対して、今は自分がそのポジションにいる。
当然、当時、周りの人が抱いていたCTOや会社に対する印象というのは知っていたわけなので、特に僕より前に辞めていった人間と同じように思われてたら嫌だなとか、歴史は繰り返したくないという気持ちがあって、そうならないようにしたいという気持ちがある。
さらに、僕自身が部下を持っている人数が、人生の中で過去最大なので、ピーターの法則で僕自身が成長のボトルネックになったりしないか?成長を阻害しないか?ということについては、最大限の意識をしているつもり。つもりであって、そうできているとも限らず、反省する毎日なのではあるのだが、それに気がつくのも、周りの意見を聞きながらだとか、周りの人との反応の中で、テストを常に回しているというイメージである。
つまり、今の状態自体が、僕にとってもチャレンジであり、それ以外の人達にとってもチャレンジであるという状況
この問題で、もし僕がボトルネックになっているとしたら、それを解消するためには、「自分よりも優れた人間に入ってもらう」もしくは「自分よりも優れた人間に成長してもらう」ということで解決するしかないと思っている。つまり別の人にもっとチャレンジをしてもらうという解決法である。
これは、どことなくネガティブな表現かもしれないが「優れた」と言っても、別に全ての能力で優れている必要はなくて、特定のカテゴリの能力に関して優れている人達が沢山いれば、壁を超えられるよね、という意味。
それがエンジニアならエンジニア、デザイナーならデザイナーというカテゴリであるかもしれないし、チームリーダーならリーダーシップかもしれないし。CTOだとかVPoEなどをお願いするという選択肢だって普通にある。
最近、採用面接を散々やってきて気がついたことがある。
大切なのは、その組織にチャレンジする価値がないと入社してくれないという事実。
僕らはネームバリューで生きていけるような日本の中核産業を担っているような企業ではないのだ。
だから入ってくれる人のチャレンジを礎に、組織の成長を重ね合わせていく。
今の会社はスタートアップのカテゴリにある。スタートアップは時間を買うために投資を受けている。その投資をしっかりと組織の成長=人の成長に再投資をしていく。
つまり、全員にとってチャレンジな状況を維持することが、一番、重要なことだということ。
生死に関するチャレンジをさほど必要としない上がっている会社は羨ましい限りだが、ビジネスモデルが安泰な会社は残念ながら社員の成長もあまり求められない。そこまで頑張らなくても会社は維持できるからだ。
実は今の会社も、EC関係者であればあるほど謎のビジネスモデルのように見えて危ういと思われているかもしれないが、面接をした人達には伝えているが、理念に対するビジネスモデルそのものは安泰なので、スタートアップを目指さず、ゆっくり時間をかけていけば、十分、大きな成長が期待できるビジネスモデルにはなっている。それそのものは代表の鶴岡がサービスを作った時点で完成していた成果だとも言える。
その基礎が確定した段階で、彼自身が会社を売って人生を上がることも可能だったと思う。しかし、これまでに彼が会社を売って、彼一人だけが金持ちにならなかったことは、彼自身の大きなチャレンジである。
今はスタートアップとして投資家から期待されている。それを前提とした仕組みで進んでいる。
社会的な責任を大きくしていき、日本を支えている、さまざまな方々の協力の元にECや決済を変えていく。
その成功は鶴岡自身においてもチャレンジであるし、鶴岡が求めた夢の実現は、社員全員のチャレンジという名の失敗と成功の総和でもたらされるものだ。
ほとんどのチャレンジは失敗する。そのことをちゃんと受け止められて次に生かせる人材が重要だ。それが成功に結びつく。
なので、そこに連動するチャレンジをどんどん増やしていく。それに伴ってメンバーの人生のROIを高める。その実現が今の僕の仕事だと思っている。
当時いた会社で、自分が逃げてしまったのは、チャレンジすること対する期待が見えなくなってしまったからなのだと思う。それは僕自身の視野がまだ未熟だったせいもあるのかもしれないし、それを伝えきれなかった経営陣の問題だったのかもしれない。当時はただただ辛かったが、今の立場ならいろいろ思いつく。
あの状況は絶対に繰り返したくない。
そういう意味では、大成功している会社のCTO、経営者と比べて、僕らはまだ、こうすれば成功するという絵が見えているわけではないのかもしれないが、これをやったらダメだ、というのは、僕の経験の中では、いくつかのパターンは見えている。
とにかく、その一つがメンバ自身のチャレンジの火を消さないということ。
僕にとって、このことはリベンジである。あの時を思い出せばこそ、今、鶴岡であったり僕のことを信じてくれているメンバーにはそうさせないように頑張る。
今の仕事はめっちゃ楽しいです。
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