はたして人は何人のコミュニティから挨拶をしなくなるのか

友達の飲み会や数人の小さな会社やオフィスでは出社した時に挨拶をしている。
ところが人数が増えてどこかの数を超えたぐらいから、ふと気がつくと出社した時などに挨拶をしなくなってくる。

また、小さなマンションではエレベータホールなどで挨拶したり、降り際に挨拶したりするが、数百世帯のマンションになると挨拶をしなくなってくる。

これはどういう心理的なロジックがあるのだろうと以前から思っていた。

今、通っている慶應義塾大学メディアデザイン研究科の入試の面接ではこの話を題材に研究計画書を書いて話をした。

受験の直前に住んでいたマンションでは、滅多に挨拶をしなかったのだが、唯一、挨拶をした時期がある。

それが311の地震の時だ。

つまり、それまで挨拶をしていた時には、何か共有する文脈があって、その共有のために挨拶をしていたのではないか。

例えば、
・同じ飲み会
・同じ勉強会
・同じ職場

などである。311の時には、これに加えて、

・誰もが共有可能な同じ不安

が期待できるから挨拶をするのではないか?

それに対して、人数が増えてくると、

・同じマンションでも二度と合わない
・そもそも同じ部署ではない
・行き先が違うかもしれないし、住民かどうかもわからない

などなどの不安、、、つまり、「自分が期待する文脈ではないかもしれない」という要素が大きくなってきて、挨拶をしないほうが無難な選択の方になるのではないか?という発想をした。

そこから展開して、仮に共有する文脈をどのように提示すると、人と人とは仲良くなるのだろうか?というのを研究しようとしたという話をした。

Webサービスが提示しているものは「文脈」である。

・出会い系で異性と出会いたい
・転職したい人
・音楽が好きな人
・何かの情報を求めている人

などユーザニーズと、サービスの文脈がが適切に噛み合ったサービスは多くのユーザーが集まる。そして、いわゆるソーシャルメディアやコミュニティサイトのような、ユーザ同士が適度な距離でコミュニケーションできる文脈の提示を設計することができれば、「盛るサービス」を作れるハズだというのを目的として、メディアデザインという視点で、この題材を考えていたという次第である。

ちなみにペパボにいた頃、朝出社する人がタイムカードの前で、どれぐらいの人数までなら、挨拶をして、どれぐらい出社している人が増えてくると挨拶しなくなるのか?というのを微妙に観察していたことがある。

なんとなくの実感値では、「10人」ぐらいにしきい値をがある印象だった。これについては、実験を繰り返さなければ、その数字に意味があるとは思えないが、そういう研究があってもいいのかもしれない。

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