曖昧なる技術が行ったIEというイノベーション

よしおかさんの記事を見た。少しオッサントークしようかな?

Netscapeがすごい会社だった頃の話(1996年前後)。 – 未来のいつか/hyoshiokの日記

確かにネットスケープは偉大だったが、眠れる獅子として起こされたマイクロソフトもすごかった。

OSと統合するというIE4のアイディアは少しコンセプト倒れに終わり、その後のIE5、Web制作界隈にめっぽう評判の悪いIE6へと至る。

しかしIE6は、当時はリッチコンテンツにとっては最もパフォーマンスの高いブラウザだったし、さらに偉大なところは、「適当なHTML」でもそれなりにレンダリングしてくれること、だったと思う。

素人からすると、既存のHTMlにFrontpageで作られたHTMLタグまるごとを丸々コピペして、HTMLタグが二つ三つあろうが、相応にレンダリングしてくれた。

もちろんアクセシビリティ界隈であったり、strictなHTML信奉者からすると、そんなんで低品質なWebページが量産されていくのはふざけんなという話であろうが、世の中、ユーザーがいなければ普及することもない、と考えれば、適当なHTMLでそれなりに見えるという敷居の低さを作ったIEは、個人的には評価している。

普及戦略としても、十分粗悪なページが普及してから、良質なページで差別化するというのが割とありがちな戦略であるのだが、残念ながらアクセシビリティについてはそこまでの市場的立ち位置を作っているのか?というとよくわからない。もしかしたら「あたりまえのもの」としてしまったのが、少し、もったいないと思ったりしなもくないし、デジタル技術がそこまでの市場性を生まなかっただけなのかもしれない。

実際、低品質な読み上げブラウザのパラダイムから、デバイスまるごとでアクセシビリティデバイスにしてしまったiPhoneやiPadの功績は大きいようだし、それにHTMLタグが二つ三つあろうが、そんなものは無視してしまえばいいだけのことで、今の機械学習や人工知能のように、「いかに曖昧なものをうまく読み取るか」というパラダイムがコンピュータの主流であることを考えると、strictでセマンティックな文法にどれだけのバリューがあるのかについては、レンダリングエンジンやクローラが、不要なタグを無視するというテクノロジ的解決手法でどうにかすべきなんじゃないか?と思うわけで、その辺を最初から意識していたのがIEであったり、さらに言えば、Windowsの特徴だったように思える。

なお、デスクトップアプリで成功した企業は、不思議なものでWebページがロクな作りができないようで、独自実装であったり、標準化を軽視するのは、デスクトップアプリで成功した企業の特徴のようで、今だもってアドビやMicrosoftは標準的ではないというか、WebをあくまでもSPAとして作りたいと思っていたり、変わったことをしたがるくせは変わらないようで、毎月の請求書取得タスクで、いつもWebサイトで迷子になる二台巨塔がOffice365とAdobeである。

アドビがWeb標準に舵を切ったのは、あくまでも独自路線が筋が悪いという合理的な立ち振舞であって、そうでなければDreamweaver4あたりのDHTMLの対応あたりを見るとFlash的な流れに行きかねなかったのはよくわかる。今となってはMSも都合が悪くなってからオープンソースカルチャーや、標準化に「あわせる」思想を取り入れ、今では結構いい感じになってきたけど、基本的にプロプライエタリが競争力を持つなら独自実装で市場を制圧したいというのは、万物共通の想いとしてあるような気がする。企業文化は、その企業が成功してきた成功法則に依存する。

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