細かすぎて伝わらないクソコードのたとえ話

犬のケージの中に置いてある毛布が毛だらけになってるんですよ。そりゃ犬の寝床ですから当たり前なんですけど。

あぁ毛布きたねえなって。近寄りたくないなーって。いつもの毛布だったら、「あぁもう交換かな?面倒くさいな」ってなるんですが、

でも、この毛布は先週末、僕が買ってきて置いたものなんですね。

普段はそういうのあんまりやらないんですけど、先週は珍しく自分で全部やりました。

そうなると、いつもとメンタリティが違っていて、

「あれ、この毛布、こんな汚いハズはない」ってことに気がつくんです。

この「こんなハズはない、もっとこうあるべきである」と言うことを知るのは、人間が動けるための強いエネルギーになります。

少なくとも僕はそうで、これまで数々の諸問題を解決した時にあったのが、誰かが「そんなはずはない、もっとこうあるべきだよ」って言ってくれた一言だったりしてね。その一言を確かめる視点で改めて調べると、問題にあっさり気がついたりね。

元の状態を取り戻すべく、掃除機で毛を掃除。元のキレイな毛布に戻りました。

大規模案件のデスマの記事を読んでいて、そうだよなぁ。
火中の栗って後から来た人ほど拾わないよなぁって思った。

大規模システム開発案件のデスマーチは、どうしてこんなにつらいのか

汚い犬の毛布を見たら、毛布捨てて新しくしたくなるよなぁ、そりゃ。

後から汚い毛布を見た時に、精神を安定させるバランスの取り方が、「そこには近寄らない」「責任に関わらないようにする」というのは自然だと思うのです。だからデスマ後期になればなるほど、過小責任の人が増えてくるから、いくら人間を投入しても問題は解決しない。たまにいる空気を読めてない過剰責任の人は、頑張りすぎて病気になってしまう。

火中の栗は、火をおこした人が、その火をどうにかしようとしてる姿を見たりしてるから、周りの人も、どうにか解決しようと思うもので、沢山の人がコミュニケーション不全に陥って、もはや何のためにそのコードを書くべきなのかもよくわからない立場で案件に関わるのは僕は無理だなーと思って見てた。少なくとも、与えられた責任範囲において、何のためにそれが存在するべきなのか?はちゃんと教えてほしい。

タチの悪いことに、こういう案件はネット接続が禁じられているとのこと。せっかく沢山の人が関わってるならネットワーク効果を生かして、スケーラブルにコミュニケーションを解決できたらいいのにね。人を信じないと前には進まなそう。

デスマの話を見てると、金と仕様書コミュニケーションでどうにかしたいという甘えがデスマを産んでるという面は否めなそうなんだけど、現場知らないからそこまでは知らない。

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