どなたかとか存じ上げずに、たまたま見つけた記事に思ったことを書いてしまうのですが、
デザインとイノベーション
デザイン思考でイノベーションを起こそう、という言葉が世の中にあふれているけれど、自分のデザイン観からするととても違和感がある。デザインってもっと漸進的で継続的なものである。内容を少しずつ高めていって、だんだんに熟していくタイプの活動だと私は思う(あまり迫力のない結論で申し訳ないけど)。
その時は、いま「デザインでイノベーションを」と言っている人たちには、責任を取るなり、釈明をして欲しいと思うが、だめでしょうね。忘れちゃうでしょうね。
おっしゃってる意味はなんとなく理解はできるのですが、そうはいっても、デザイン「で」ではなく、デザイン「も」生かして、だと思います。その方法論がデザイン思考やHCDだったり人間系ならCDOだったり顧問とか、なんかいろいろあるって感じではないのでしょうかね。
今日、たまたまとあるショッピングモールに行ったら、こういうデジタルサイネージがありました。
これに対して、こんなつぶやきをFacebookに書いていた。
こういうサイネージって使われてんのかなぁ。暇な少年がスワイプを始めたところは見た。デジタルサイネージって、いつの時代も画面の大きさに対してコンピューティングパワーが足りない気がする。このサイズなら4k解像度以上は最低限ないとリアル店舗という実世界の映像に見劣りする気が。紙のPOPに全然負けてるもんなぁ
デザインの要求からすれば、どう考えても紙に負けてる時点でアウトでしょう。近づいたって解像度低くてコンテンツが理解できないし。頭の中で、経験的に想定しうる仮説を立てて、ようやく、このモールにあるお店の割引券が並んでんだってことがわかったぐらいで。
確かに、こういうデジタルサイネージは、画面スワイプができて、紙ではできない情報の遠隔管理ができて、クーポン発行できて、スマホアプリを入れさせられて、いくつかのお小遣いの変わりにリテンションのきっかけが作れるよね、というパワポの企画書に書いてあることはいくらでも予想できるわけですが、
しかしながら、画面解像度が明らかに紙よりも低く、1m手前に立っても画面に表示されてる情報の意味が認識できない時点で、店内のあちらこちらにある紙のPOPに負けてますし。そもそも周りに、のぼりやPOPがないと使い方が認識されないと判断された時点で、産業装置に貼る製造物責任のシールと同じくデザインの負け感しかないですし、手順が煩雑な時点で、「直感的ではない」のだからユーザーの新規獲得は望めるものではないですよね。
実験にしては、どう考えても筋が悪いと思うわけです。黒歴史が残るだけだと思う。
そうではなく、例えば、このサイネージ連動のクーポンアプリがこの地域に10万人以上いるなどの既存会員だけに向けたリテンション施策であるならば、それはこんな大きなデジタルサイネージであるべきなのか?というのもあるでしょう。もしかしたら、iBeaconのような通知系の方がいいんじゃないか、とかでもあるしょうし(そもそもこのモールは、東京では考えられないほど広い…わざわざこのために、ここに訪れるだろうか)、それ以前に、少々の割引やポイント程度のエサでしかないなら、何もしないほうが良いんじゃないか?という選択もあるべきでしょう。
(ここの近くの別のホームセンターにあるペットショップの犬の値段を見て、決して可処分所得が少ない地域ではないということをイメージしていたので、何かと引き換えにしたクーポンやポイントなどの反応度は低いんじゃないでしょうかね。わかんないけど。結構、その地域のペットショップで売ってる犬種と値段を見て、その地域の経済的余裕度みたいなものを考えることがあります。)
つまり、明らかに、テクノロジ的ビジネス的コスト的にはそこそこいけてたとしてもUXおよびUI、ビジュアル、全体のデザインがイケてないと思うわけで、パワポに書いてある理屈に対して、そこで狙っているUXが実現可能なのか?というところで、なんかそこで違くね?って説得力を持って止められるだけの責任を持った人がいることがデザインが経営に(イノベーションに)寄与するという話で一番重要な点ではないのか、と思います。デザイン思考の重要な点は、UX実現の視点を経営判断に持ち込み、じゃぁ目指す成功に向けてどのように持っていくか?という方法論なのではないでしょうか?
もし運用上、お店の人たちが低解像度の画像しか用意できなかったのであれば、そのお膳立ての必要性も含めてのデザインだと思います。システムは買ってきました、せっかく用意したのに、画像がしょぼくて生かせません、ってのはUX実現に向けたデザインができてるとは言い難いです。そこにはそうさせるための理由というのがあるわけですが、なぜ低解像度の画像ではダメなのか?ということを説得するためにも、全体のUXデザイン実現に関する責任を持つ人は必要だと思います。
つまり、UX実現にコミットする人が、意思決定をする人たちに一人もいないなら、結局、ビジネスの都合やシステムが想定してる理屈による暴走を正しく止めることはできないわけで、それらを適切に組み合わせた先にあるイノベーションなど望むべくもない、という話になると思います。また、冒頭の話に戻ると、デザインとは何を示していて、イノベーションとは何を示しているのか、という部分が一番重要なのではないかと思います。それとデザイン思考は、デザインファームによるビジネスコンサルによるUX実現のプロセス・マネジメントの話であって、(ビジュアル)デザインなどの話ではないと認識しています。
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