セグウエイを改良したxiaomiの製品が出た。体のバランスだけでコントロールしていたものが、使いやすインターフェースに変わっていることがわかる。以下、雑多に書くので論点が散漫であるかもしれない、ことは免責事項として予め記載しておく。
つい先日やっていたNext Web Conferenceで、KotarockがモデレータをやっていたUI/UXセッションが面白かった。
その中でも興味深い話だったが、本来表に出るべきでなかったURLというものが、Webブラウザの実装の都合で、表に出てしまったまま普及してしまったという話。
もしかしたらWebブラウザは、HTTPのテスターアプリとしての存在だったかもしれない。テスターとしてのブラウザアプリならURLが露出しているのは自然だ。
しかし、その意に反してドキュメントビューワーから、ゲームプレーヤー、優れたビジュアルデザインの表示器まで進化してしまったらしく、それを起点として、もしかしたらこれが本命ではないんじゃないか?という話だったような気がする。事実、URLは徐々に使わない方向に行っている。
インターネットからGUIがなくなるのが理想だという言説がある。あまり本質を理解してないので、的外れかもしれないが、そういうのはどうなんだろう。人間は興味で動く動物なので、営業ツールとしての「見た目」は絶対に必要じゃないかとは思う。
「見た目」には「わかりやすさ」が求められるので、10年後、どういう実装技術で表示されているかは変わりつつも、やっていることは今とそんなに変わらないんじゃないかなぁとは思う。
あらゆる情報アーキテクチャが透過的につながり、ネットも出来る限り、常時接続となることで、インターネットなるものが見えない存在になることはあるだろうが、そうは言ってもマネタイズポイントには、プレゼンテーションレイヤーが存在しているし、特徴を示すために接続性はアピールするだろうし、ネット接続が止まった時のエラーハンドリングが正常系処理として求められるのは変わらないと思う。それらの良し悪しが少なくとも営業マンとしてのマネタイズを決めるんじゃないかと思う。
今、iOSアプリでやってることは、他の装置になっても変わらないコードを書いてるように思える。Webブラウザはそこ全部やってくれてるから楽なんだよね。
GUIよりも、チャットUIや、音声インターフェースが本命だという話もあるが、シリアルに入力する方向に進化するのが進化なのかは、個人的にはよくわからない。視覚情報を犠牲にしてシリアライズした場合、人間の脳に時間軸に対する制約か、記憶力の一次バッファによりコミットメントを求める方向にいくだけだと思うので、それはそれとして新しい技術は出てくるが、それとWebブラウザでやってるものは別じゃないだろうか。
個人的に短期記憶がザルなので、そういう時代になったら僕は生きていけないです。今のところ、そう言ってきたものが普及したことはないので、加齢に基づく時代の変化に取り残されていく部分を除くと、割とそうならない自信はある。
もちろん全てがWebブラウザではなくなっても良いよね、という適材適所理論は、どんな技術でも起きることなので、その可能性については何も否定しない。ただ限られた座席で、音声インターフェースの市場を作るところはあるかもしれないが、Webブラウザほどジェネラルではない可能性が高い、ということ。
その場その場に存在する学習コストが、視覚情報の伝達性には勝てないから。Webブラウザが音声対応するのは全然ありだと思う。
とにかく、どうやって商品やサービスを訴求しているか?という部分に、プレゼンテーション層が強く影響するなら、
・APIのB2B営業の場合は、営業マンがAPIを売る
・Webブラウザの場合は、WebブラウザとURLが、API(ビジネスロジック)を売る
・スマートフォンアプリの場合は、スマホアプリとAppStoreが、APIを売る
・IoTは、デバイスがAPIを売る
などと考えると、責任分界点のところにエンドポイントが存在して、そこにはユーザインターフェースないしは、接続I/Oのクチが作られて、そこの(広義の)デザインの良し悪しというのが、売り上げを左右することになる。それこそYahoo!アカウントとそれに紐づく履歴情報が使えるから、この新しいサービスは有利(もしくは不利)だよねってのもデザインの一つと言える。PAY.JPやWebPayのように、REST APIで決済システムという商品が存在するというケースもある。
MVCモデルをあえて当てはめると、Viewが、IoTデバイスやスマホアプリであり、Modelがその企業が持っているデータおよびビジネスモデル、C=コントローラはUX設計ということになるだろうか。もちろん、M+Cが複数の企業に多段になってもいい。
GUIに限らないが商品性を人間に理解してもらう部分が重要になる。僕がUI(正確にはヒューマンインターフェース)が好きなのは、自分たちが作ったロジックをいかにわかりやすく翻訳してあげるか?こそが、サービス性の認知や、普及を決めることになるからだ。
例えば、マッシュアップアワードにBASEのAPIを出しているが、結局APIのクチを用意しているだけでは意味がなくて、それを利用した作品が出てこなければ意味が無い。それがこれで言うプレゼンテーションロジックが不足するという意味だ。気がついたら応募が終わって審査の時期になってから気がついたが、使ってもらう努力をしなければ、協賛するだけでは、あんまり意味が無いことに今更、気がついた。
どの会社もAPIを持つ時代になると、どうやって使ってもらうか?という戦いになる。APIのインターフェース仕様は均質化していく流れは免れないので、電子部品のようにスイッチングコストが低くなる。重要なのは、インターフェースの部分ではなくなるため、API商売は価格競争に陥ることも十分考えられる。
人間は、見えたもの、聞こえたものでしか、コンピュータシステムの恩恵による実感を感じることはできない。今後は、そこに触覚や嗅覚、味覚が入ってくるかもしれないし、フィードバックとしての触覚も大切だ。
これまでのインターネットのビジネスは、情報表示技術の仕事だと思っている。情報表示技術というのはつまるところ「見た目をどう作るか」だった。例えばstaticなHTMLによる、ホームページを作る仕事は徹底的にViewに徹した仕事と言える。
今後は、裏側のビジネスモデルの構築もより増えていくことだろうし、そちらに比重が増えていくことは十分考えられる。それこそ大企業ではオムニチャネルなどという言葉で、物流とインターネットが融合していくことが増えていく。(2000年ぐらいはサプライチェーンが云々とか言われていたが…)
しかし、情報過多時代の中で、Viewの切り口の重要性はおろそかにするのは危険である。例えば、バーグハンバーグバーグが作る企業商品のPR記事は既にある商品情報の切り口を変えて訴求しているが、情報伝達技術として抽象的に捉えると、彼らがやっていることは、同じビジネスAPIの見せ方を作り変えている仕事だとも言える。そこにコストが支払われるというのは、社会システムというAPIが機能不全に陥った時に求められるのはプレゼンテーション層の良し悪しや、切り口を変えてタッチポイントを増やすことに他ならないからだ。(じゃなければ、俺達はいい製品だけを作ってればいいぜ、という話になるわけで。それならiPhoneはいらなかったハズ)
いつまでもビジネスロジックの翻訳家としてのヒューマンインターフェースの部分は、実装する技術が変わっても、人々の興味関心を喚起するデザイナーが成功するという流れは続くだろう。
FacebookもクソUIだと思われつつも、実用性という面では非常に優れており、人の興味を得るようによくできている。それこそ通知一つ取ってもインターフェース設計である。
僕も、人間とのインターフェースのデザインスキルが、自分にとっては興味があるところである。結局、リコメンドだって、機械学習だって、そこに繋がるためのデータ処理をしているというのは変わらないのではないだろうか。自分がビジュアルデザインのスキルがないにも関わらず、この分野に興味を持てるのが、そもそもそれがビジュアルデザインが本質だとは思っていないからである。
# 雑多に書いてるので、論点がいくつか混ざっているかもしれない。
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