労働時間と、仕事のやりがいの関係性に関しての独り言

すっげー微妙な話書きます。

労働時間の話です。

ブラック論が取り沙汰された時に、2つの話が出てきました。

一つは、労働時間が長くて、本当辛くて自殺してしまった人が出るぐらいの話
もう一つは、労働時間が長くてブラックと言われてる会社で、ポジティブにやって出世までしている人の話。

えと、労働時間が長いといえば、一番代表的なのは経営者です。経営者が過労で病気になるという話は聞いたことはあるけど、経営者が働き過ぎて気持ちを病んでしまうというケースは聞いたことがありません。そもそも彼らは24時間仕事のことを考えています。

それに対して、そこまでの重圧は持っていないにも関わらず、社員で気持ちを病んでしまう人の話というのは聞きます。

その2者が人間的に違うかというと、そんなに違わないと思います。少なくとも同じ人間です。

あ、この話、決して経営者目線云々という話をしたいんじゃないですよ。この文章をうっかり読んでしまった人に、先に言っておくけど、そこだけは絶対に勘違いしないでね。経営者目線みたいな、情報の非対称性があるくせに、都合のいいところだけ求めるの嫌いなんで。

ただ、何が違うかというと、病気などがない限り、「自分からやりたいと思っている仕事であれば、長時間労働に対して気持ちは病まない」ということにつきますし、「どうしてもやらされている」という感が捨てられないと、その時間は極論、心の牢屋に縛られている状況なので、辛いと思います。

自分自身の話で言うと、ユーザーの支持を受けていたモバツイはもちろんですが、Shopcard.meを開発してる時は、よく4時くらいまで開発していました。当然、自分で作りたいと思って企画したアプリですし、自己実現がかかっていますから、別にAM4時まで働いてもなんとも思いません。自分的には5時間寝れば十分ですから4時-9時寝てれば、会社に出勤していても普通に戦えます。

(その代わり、僕は4時以降はgame overなので、絶対に4時で帰ります。こう見えて体は子供の頃から強い方ではないので、20代の頃から、布団で寝ないと次の日のパフォーマンスを発揮できないので保身のために絶対に帰ります。)

でも一般論として、4時まで勤務するのはヘビーだという評価もあるでしょう。だから推奨してはいけない働き方であることは知っています。当然、人に押し付けたことはないです。

ただ、自分が納得してないで、やらなきゃいけない仕事として4時まで働くのと、自分が好きで4時まで働くのでは、精神的な負担が全く違うと思っています。

というか、やりたくないのに、やらなきゃいけない仕事は業務時間内でも苦手です。たまに嫌な仕事がやってくると、自分でも明らかに生産性が落ちるのがわかっていて、でもやらねば、と、どうにか自分を奮い立たせます。

ユーザーに支持されていたモバツイの時は、夜のご飯を食べていても、どこに行ってても、もう考えるのが楽しくて仕方なかったです。家族から怒られるぐらいモバツイのことしか考えてませんでした。Social networkというザッカーバーグがモデルの映画で、友達と話していたら交際ステータスを表示することに思いついた時に、自分のパソコンに向けて走って帰っていったシーンがあるんですが、あれは、主体的に考える経験をしてる人じゃないと気持ちわからないよなぁとは言い切れます。

その昔、受託をしている会社にいた時に、何故開発者が前工程であるデザイン工程の手戻りのとばっちりを受けて徹夜とかしてんだろと考えてみたら、サイト設計の専門家 = IAがいないことに気が付きました。UI/UXとか言う言葉がでてくる5〜6年ぐらい前の話です。なので情報設計グループというサイト設計の専門家チームを作ったことがあります。当時はそういう概念がなかったので、それこそネットイヤーの坂本さんとかその道の人たちに教えを仰ぎ、状況の改善を計ったことがあります。

長時間労働をするのも無駄な長時間労働を避けるのも「自分からやりたいと思っている世界を作る」ために頑張るというのは大切なことだと思います。

またマネジメントする側としても、働く人が納得していないのであれば、まったくパフォーマンスを発揮できないと思っているので、「何故作るのか?」という納得感を得ることはとても大切です。

僕自身も文章などを書く時に、人から書かされている文章と、自分から書きたいと思って書いている文章では説得力がまるで違うという話をされます。僕の国語の偏差値が低いせいなのも含めて、いつにもまして「てにをは」が崩れるのだそうです。やはり、何かをしたいという気持ちを思っていなければ、いいアウトプットは出ないです。人間はロボットではないので。

仕事の成果は、労働時間に影響されるわけではありません。自分自身が100%以上のパフォーマンスを発揮できる「やりたいと思って集中した時間 x 労働時間」こそが真の生産性を発揮できる時間です。

イキイキと働けない8時間は人生の無駄遣いに他ならないと本気で思っています。

でも、同じ理由で充実した時間を送っている人は、その時間がたとえ12時間になっても、あまりその人にとっての精神的な負荷は変わらないという経験則だけがあります。特に自己実現がセットになってる人は、止めても勝手に働いています。家でも仕事に繋がる作業をしてたりしますよね。

だからジジィになっても自己実現の気持ちを忘れたらいかんのです。

それが8時間の労働の質を高めて欲しい理由でもあり、長時間労働を推奨する理由でも有り、長時間労働を否定する理由でもあります。つまり楽しければ時間は関係ないことはわかってるんです。

何かを作るという仕事は、本来は楽しい仕事であるべきなのです。

そうでなければ、開発者という、自分自身が手を動かすことでしか前に進めないという、効率が悪く面倒くさい仕事はついてはいけません。

しかし労働法的には、長時間労働は抑制せねばならない部分はあります。

結論としては、一般論として決して長時間労働を推奨するわけじゃないです。

パフォーマンスを出せる人だけにしか適用しなくていい話なので、長時間労働を許容すべきなのは、仕事にやりがいを見いだせた、パフォーマンスが高い、ごく一部の人だけの特権かもしれないということです。

おかしな話ですかね。だからビミョーな話なんですよ。ぶっちゃけ頼れる人材とは何か?というのは理屈じゃないし、時間労働で計るものじゃないので。ただ頼れる人材は、会社にいなくても、オンラインを通じてでも、どこかしらでコミットしてくれてるんですよね。職場を心の鎖と思ってない人だからできることではないかと思うわけです。特にリーダー、事業責任者になる人は、それができることを期待されるからこそ権限が移譲されるわけです。だからこの人達の話を聞くとすこしばかりブラックなんじゃないか?と見えちゃったりしますw

繰り返しになってしまいますが、8時間のパフォーマンスを発揮できない人は、長時間働いても意味が無いです。これだけは間違いない。

あとはこなせる役割に対してどう成果を実現するか。そして評価にどう反映するか。ただ単に長時間労働を推奨するわけじゃないってことは理解していただけるとありがたいし、だからと言って、平均の労働時間が短いことが仮に事実であっても、それを労働条件の前提としたいわけじゃない、ということです。

この国では仕事のやりがいの話は書きにくいです。何を書いてるのかわからないと思いますので、独り言ということでスルーしてくださいませ。

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