最近コスパという言葉の使われ方がおかしい

最近、コスパって言葉が乱用されているという話をFacebookのタイムラインで見かけてから気になっていたんだけど、確かにコスパという言葉の使い方で、不可解に思う記事が増えてきた。

コスパが悪い? 結婚ほど不確実なものはない – Yahoo!ニュース

上の記事とそのネタ記事は、その代表例。タイトルからして意味がわからなくて読めてないんだけど、要するにコスパという文字で釣れる層がいるってことですよね。ある意味、意識高い層、ということなんでしょうね。

でも、とりあえず、何のパフォーマンスが悪いんだろう。逆に言うと、お得なパフォーマンスとは何なのだろうか?

安く結婚して、幸せに暮らせること?

結婚が不確実なのは、人から評価されるという人生そのものの不確実性が高いから当たり前だし。
自分の振る舞い一つで話変わるし。

ステレオタイプを望んでみたら、意外と難しいので、面倒くさいですねってことを言いたいのだろうか。

まぁコスパが悪いと言う言葉を聞くと、上場する起業家が離婚すると財産分与でヤバイことになるって聞いたので、金持ちになってモテる人ならコスパ悪いのかもしれないですねw

そもそも見返りを求めてる時点で終了って気がするけどな。なにげに思うこととしては、結婚は勢いってのは正しいと思ってて、それこそ上の記事にもあるけど、オッサンになってから結婚考えると、子供の出産の難易度は上がるのは当然として、お互い親の介護とかが現実的になってくるので、そういうことを考える前に結婚してしまって、それは自分たちの宿命であると、お互いの信頼関係構築したもの勝ちだと思います。

理屈だけで考えると、人生そのものが辛いことが多すぎる。

つまりそこには「かけてる時間」ってのがあるんだけど、「コスト」のような瞬時値的な価値観ではなく、もっと長い時間をかけて醸造することへの価値が見えてないってことなんだろうね。広告入れれば即、ダウンロード増えて儲かるなら、ブランドを長期的に作ることを考えない、みたいなインスタントな価値観。そりゃ30代になって、自分たちのキャラが出来上がってから他人の価値観と信頼関係を構築しようとしたって大変だろ。そりゃ。投資は若いうちから。

次に増田の記事

高い食事ってなんなの

食べ物って1500円とかでそれなりに美味しいものが食べられるし、2500円とか払えばもう十分満足なものが食べられる気がする。

そこから先は高い金を払っただけのレベル差を感じないし、多少感じられたところで、その喜びは一瞬で舌の上から消え去っていく。

コスパ悪すぎでしょ。

そこそこ満足できて、お腹を満たすのがパフォーマンスとしての定義なら牛丼屋でしょ。野菜も食べられるし。
1500円なんて高いよ。コスパ悪すぎ。

(つまり、それただの主観だよねってこと)

値段が高い店は、一品あたりの絶対量も少なくなるので、コスパなんて言葉では到底語れない。

よくこういう話に高いお店は雰囲気を買うんだよ、みたいな話あるけど、まぁ打算的には確かにそうなんだけど、それも価値観が一元的で空気みたいな話じゃなくても、年をとって、食べられる量が減った時に、量よりも質に有り難みを感じるんだよなぁとかもある。

量はいらないから1gの満足度にかけたい、だとか若い時とは価値観の転換が存在する。要するにその時点でターゲット顧客ではない、ということだ。それを批判するのは意味が無い。代表例として、食べログの点数という抽象化された指標を、自己の価値観に基づくコスパだけで咀嚼するとお店の選択を誤る。

故にパフォーマンスの基準を明らかにして、コスパを語れることは大切ではないのかな。そっちの方が間違えない。食べログなら絶対点数で判断せず、点数の構成要素のレビューを読んで、自分の好き嫌いと比べてちゃんと判断する、とかね。渋谷センター街の飲食店の3.0と、西麻布だとか南青山の3.0は判断する価値観違うし、観光客向けと地元客向けもレビューアの価値観違うよね。そういうの沢山ある。

価値観の基準があってなければ、コスパという話を出した瞬間に、自分の主観、価値観を露呈してしまっていることに気がつくべき。主観で語るのは「好き」「嫌い」の話。

高いお店に価値が見えないという気持ちは理解できるけど、飲食店の店員じゃプロとしての限界が見えてんじゃん、としか思われないわけで。いいものわからないと安いもの作れないでしょ、とかね。

好き嫌いなら別にいいんだけど「コスパ」という言葉の背景には、自説を一般化して語るポイントが見え隠れして、「普通」って言葉を乱用する人に近い印象です。

たまたま本屋で見かけたこの本にもコスパって書いてあって、うわぁっ流行り言葉使ってんのかな?と思って、タグ作ってみたら、2013年の本だった。

休む技術

休む技術

  • 作者:西多 昌規
  • 出版社:大和書房
  • 発売日: 2013-05-22

p.s.僕が言ってることが、パフォーマンスというリターンが一定で満たされているなら値段の多寡に関係なくコスパは一定じゃないか、という指摘をいただいた。僕も含めて勘違いしてるのは、コスパ(コストあたりのパフォーマンス)じゃなくて、パフォコ(パフォーマンスあたりのコストの大小)で計っている部分なのかもしれないですね。でもそれは本文の論点とは変わらないところなので、そこは大丈夫だと思う。

【PR】ご意見、感想などは是非、mstdn.fmのローカルタイムラインでお聞かせください