製品企画にセクシャルな用途は必要だと思う。
S13シルビアやZ32フェアレディZ…バブル期の日産はなぜ次々と名車を生み出せたのか?
車が売れなくなったのは、スペシャリティカーがオッサン向けの高級車になり、10代の高校生の憧れの製品ではなくなり、ステップワゴンを契機とするミニバンシフトで、日用品としての存在が強くなるにつれ、元々あった実用的価値の方が強くなってきて、魅力の衣であったセクシャルなバリューがなくなったからではないかと。
よくネットで車の議論をすると、田舎では車は実用品だからなーという話が出て、こういう話が終わるのだが、実用品のとしての車の価値はミニマムバリューではないかと思う。つまり、高い利益を生み出すドル箱ではなくて、最低限の需要レベルということだ。実用的価値ではなく、精神的価値としての、「モテるための道具」「デートのための車」「走るラブホテル」と言ったキーワードが、利益を生み出す部分。
そこが近年ごっそり消えたのが「車離れ」の正体ではないかと思う。
日産車は、控えめに見てもヤンキーのあこがれの車だった。シルビア、スカG、GT-R、Z、セドグロ、シーマ。すべてがヤンキー文化か、さすがにヤンキーにはなれないけど、同じようにやんちゃはしたいという走り屋文化の受け皿の車だった。
そういう時代が終わってしまったのが、このような記事に繋がっているような気がしていて、オッサンにはとてもうれしい記事でしたよ。
製品開発の中で、例えば同姓、異性に限らず「モテる」というのは否定してはいけないポイントだと思う。一時乱立した、FBプラットフォームで、みんなでいいことをしようぜ的なソーシャルサービスが、軒並みうまくいかなかったが、人にとってのベネフィットは、いいことをしたい、とか、誰かに役に立ちたい、というよりは、モテる、ウケる、認められるという要素のほうが、より本能的であり官能的で、より直感的に成功しやすいと思う。
偏差値高い思想をすると、本能的(性的)や官能的というのは、あまりカッコの良い概念ではなくて、社会的貢献やよりよいライフスタイルなどのキーワードが前面に出てくる悪い癖があるが、人は元来、生存欲求の中で生き残る動物なのだと考える。そもそも、20代の童貞率が上がり、婚姻率も下がっているのは、スマホやソーシャルの発展で、相互監視社会のようになって抜け駆けしにくくなったからではないかと思う。「いい人そう」という衣をかぶるのは、まったくもって無駄な時間の使い方である。だけど、余計な情報があっという間に共有されてしまう今の時代は、抜け駆けをして失敗できないんだよ。
何故、地方の祭りに性的なものが多いのかと思うと、結局のところ男女の出会いを如何に正当化するか、という部分は、重要な社会問題として意識されていたのではないだろうか。去勢された、いい人そうな、つまらない企画で空中戦をするのではなく、所詮僕らは、本当は魅力的な人を見つければ、尻尾を振ってついていきたい動物なのだということを意識した前提で、会社に正当化するために理屈の衣を重ねて、是非面白い企画を生み出してほしいものである。
酔っ払って書いてるし得意とする分野ではないので、いい言葉が見つからないけど、今日は六花界の森田さんのところで、たくさん肉食ったので、動物的な感覚で文章を書いています。
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