ふと思いついたので日記として書きます。
以前、モバツイを運営するマインドスコープを経営していたが、会社を手放して改めて再出発しようとして、改めてマインドスコープ時代の総括ができるようになって、ようやく気がついた反省点というのがある。
それは、マインドとして、エースエンジニアの座を社員に譲れなかったこと。
自分自身の問題として、というか1クリエイターとして自分が許せない、というか、正確には、自分が一番、怖がっていたこととして、目の前のお客さんが困っている状態を、絶対に自分たち要因では作りたくない、ということに強いコダワリがあったことだと思う。
モバツイというサービスを育てる時に、一番大切にしてきたのは、Twitterというリアルタイムサービスの仲介業として、即座に問題を解決すること。繋がり続けることにコミットすること。そのために自分の時間を捧げていたと言っても過言ではない。
311の時にも、純広告が全部キャンセルになる先が見えない状況下で、余震の瞬間負荷のためにAWSのサーバを増やすのはもちろんのこと、停電時にネットに接続できるのかわからないけど、何かあった時の電気を確保するために発電機という名の車を、地下の駐車場ではなく、コインパーキングに置いておいて、即座にエンジンがかけられる状態を維持したり、地震で怖いオフィスに踏み台サーバ用のUPSを設置しにいった。リモートでモバツイ上に地震速報やリソースを更新したり、言葉は不適切だけど充実していた。Twitterに接続できる環境を維持し、特に都心部の人たちが、情報が錯綜する不安な状況だからこそ社会に貢献している感というのを勝手に持っていた。
でも、よくモバツイに対して、「まるで子供のようなサービスなんだろうねぇ」と言われることがあって、そういう言説については特に否定も肯定もしてなかったが、別に、そういう思い入れがあったわけではない。だから状況が適切だと思えばこそ譲渡させていただくことには、全く抵抗はなかった。
その状況、状況で、最適であろうという役割に身を投じた時に、自分の能力でできることが、経営者ではなく、エースエンジニアである状態を維持すること、ということにすぎなかったのだと思う。
とにかく利用者たるユーザーがシステム要因で困っている状況だけは許せない。だから、ツイッターの障害発生時には、必ずモバツイ要因ではないか?をチェックする。モバツイが調子が悪い時の僕の機嫌の悪さは、家族が一番知っている。
ツイッターの障害が起きた時に、明らかにツイッターの問題だと判断できたとしても、ツイッターのせいにするのは僕はすごく嫌いで、とりあえずサーバにログインして状況を把握する。
ツイッターが調子が悪くなったのがきっかけで、モバツイのボトルネックや不具合が露呈することがあるかもしれない。いや、実際にそういうことがあったから、そう学んだんだと思う。
常に自分を100%信じない。ちゃんと自信を持たないとモノは作れないけど、自分を過信したら負けだと思う。それが自分のエンジニア感。
ツイッターの不具合復旧待ちフェーズにしてたら、問題解決の時間が遅れた。もし、そこでちゃんと関心を持って、物事に向かっていれば、もっと早く問題が発覚し、困る人が少なかったかもしれない。そういう反省点から学んだことだと言える。
社員としてジョインしてくれた人たちはすごく頑張ってくれて感謝している。あくまでも僕が、最後の最後までモバツイの技術責任者というマインドを手放せなかったのは、あくまでも僕の問題として反省している。
もし、多少の障害も覚悟の上で、AWSのアカウントまるごと渡すことができれば、もっと違うビジネスに目を向けて、また状況が変わっていたかもしれない。それ自体は、取締役会では散々っぱら言われていたことなのだけど、実感として、そうすべきだと思ったのは、最近の話のような気がする。
もちろんそれが全ての技術者起業が行くべき選択肢だとは思っていない。エンジニア社長として、いくべき道を作ってヒットサービスを作っている人もいるわけだから、何が正解というのはないが、あくまでも、あの状況のあの文脈の先にある状況ということを考えると、そうしていけた方が望ましかったし、そもそもそういう文脈があったからこそ、斉藤さんと組んでマインドスコープという会社を作ったんだよね、ということを考えると、少し、ひっちゃかめっちゃかだったなとは思う。経営者としては、その状況を乗りこなせなかったところは、不徳のいたすところ。
だから、こういうのって、すごく恥ずかしい話で表に出すべき話だとは思ってないし、もしかしたら一緒に働いてくれた社員の人たちに失礼な言い方をしているのかもしれない。
今、CTOと言う役回りとして一応コード書かない宣言をして、結局、ちょこちょこは書いてるし、ソースコードはある程度がっぷり関わらないと、主体性が自分の中に足りなくて、まずいなーとも思いつつ、あまり感情移入しすぎると技術者という主観で状況を判断してしまうので、それはそれでエースエンジニア的発想になりがちで、あんまりよくないんじゃないか、という悩みもありつつ思ったこと、、かな。
ソーシャルネットワークってFacebookのことを描いた映画があって、友達としゃべっていて、恋人のステータスをFacebookにつけることを思いついたザッカーバーグが思わず大学構内を走ってパソコンに向かうシーンがあるのだけど、あの時の気持って、サービスを運営している人ならでわの感情なんだろうなって思って、自分のことを思い出していた。
あのワクワク感、今すぐ自分で実現しないと実現できないが故の焦燥感って、多分、いくつかの職業の人しか得ることができない特権だと思う。あの映画は、関係者にインタビューせずに作ったと聞いたけど、よくわかってて凄いなって思った。
あのワクワク感をサービスに関わる全員には持てるようにしたいんだよね。でも僕から、そのことを直接与えることはできなくて、自分自身が見つけられる環境をどう提供するか、くらいしかできないんだけどね。
どこまでがマインドスコープの話で、どこからが今の話か支離滅裂すぎるのはわかってて書いてる。
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