X68000の成果

なかなかおもしろい話をみかけた。ツイートじゃとてもじゃないけど気持ちを書ききれないのでここに書きます。

X68000には「MSXにおけるグラ2」に相当するような凄い成果はない? – Togetterまとめ

なければ作るに憧れて、結局、何も作らなかった側の人ですが、確かにメンタリティはMSXユーザーに近いものがあったかもしれないですね。ただMSX程仕組みがシンプルではなかったので、結局、ものすごいできる人じゃないとハードルが高かったかもしれない。それこそイマドキのMakersに繋がるような、I/Oを簡単に引っ張り出せるが故に、高校のパソコン部がMSXを使っていろんなことをやっていたような世界ではなかったのは間違いない。

僕自身は、68000CPUの本とかは買ってみたりしましたが、これを何に使うのか意味が全然わからず、努力したかったタイプですw 誰かに教わりたかった。

なお僕にとっての神アプリは、mint、LaTeX、μEmacs、PIC、MDX、PCM8、とかですかね。

LaTeXとかは別にX68ならでわって話ではないのかもしれないですが、圧倒的なPC98のシェアの中で、しっかりX68にも存在したのが素敵だったし、大学のレポートもこれで書いてましたからね。

LaTeXを使う時には、当時、プロポーシャルフォント(今では普通のフォントのこと)を生成するのに、X68の内蔵フォントデータを元にレンダリングデータを作らなくてはいけなくて、最初のロジックでは2日ぐらいかかったのかな。それでプロポーショナルフォントを生成したりしていました。ドキドキしながらデータ生成を待って、はじめて、スムーズなフォントがレンダリングされて文章が印刷できたのはホント嬉しかったです。

なお、mintを作った里衣座さんは、ペパボに入ってからJUGEMで提携していた検索エンジンの会社の社長としてお会いする機会があって、ホント神機会でした。今は海外展開もされておられるようです。

すげー面白かったのは、里衣座さんにお会いしたのって完全に初めてだったんですが、里衣座さんの反応が、まるで僕が初めて会った人じゃない感というのがあったみたいで、多分、僕の目というか何かの反応が他の人とは違っていたのかも知れないですが、何か空気感とかあったんでしょうかね。そういう感覚ってのが当時のユーザーってのがあったのかもしれないです。そういうのって文字では共有できないですよね。

あと地味に好きだったのは、SRAMに音声データをつっこんで、マシンの起動時や終了時にしゃべったり音を変えたりなどのカスタマイズアプリがあったこと。オタクっぽくて、大変、恐縮ですがX68の起動終了時にラムがしゃべったり、めぞん一刻の響子さんがしゃべったりしてました。着メロ着ボイスとかの走りですよね。そういうメーカーがやってないことをハックする精神という部分には、熱いものがあったと思います。もちろんPCM8もそうですね。X68は1チャンネルのPCM音源があったのですが、そこにソフトウエアで音を合成したものを突っ込んで、8音のPCMを鳴らすことができるミドルウエアでした。アイディアが神すぎますよね。完全にハック精神だと思います。残念がら天才クリエイターは短命というのも、そこで知ることになります。

なおゲームとしての神アプリは、源平討魔伝、沙羅曼蛇、ドラゴンスピリットなどの比較的初期のゲームの印象が強いです。沙羅曼蛇は、クロックアップをして、その価値を体感できるゲームだったこともあり、よくやりました。その他、著作権違反ものとして、ドラクエのオリジナル版やドルアーガの移植やスト2などがあったのを覚えています。

ゲームの移植に関しては、その後、プレステやサターンが出てくることで、同じような移植が出てくるわけですが、簡単に言えば、「コストダウンされた環境で似たようなムーブメントが起こっていた」と考えられるわけなので、それをもって個性がないというのは少し勿体ないかなとは思います。

また、JPEGビューワーってのも感動しました。オフ会の写真をキャプチャした画像をパソコン通信経由で送ってもらったんですが、X68は高解像度で32000色出るので写真も見ることができますが、はじめて写真を見ました。JPEG画像を展開するのに、40分かかりました。アルゴリズムの問題はあったでしょうが、とりあえずシリアルに処理すると、当時のCPUじゃそれが限界だったようです。

これからはこういう時代になっていくのか!と強烈に思わされたことを覚えていますし、同じパソコン通信の人たちには、拒否感を示す人も少なくなかったですね。今は、カジュアルに写メができてしまいますが、完全にその走りのタイミングを見たと思っています。

X68環境の大きな弱点は、PC98に存在していた一太郎や花子のようなビジネスアプリが存在しないというのが大きな問題でした。つまり、X68のアプリを作るクリエイターは、あくまでも趣味であって、ワープロのような地味かつ難しいソフトウエアを作り上げるというモチベーションはあまりなかったものと思われます。(エディタは、μEmacsだけじゃなくて沢山ありましたけどね)

いわゆるハッカーがGUI方面が弱いというのは、今のオープンソースにも割と繋がるところではないかと思います。もちろん今は規模が違うのでオープンソースでもGUIに優れたアプリは存在しますが、例えば、MacやWindowsに対する、X Windowや、Eclipseに対するVisual Studioなどと言った比較で言うと、やはり商用の方がGUIの作りこみ度は高いものと考えることができます。フォントなどのデータの問題もありましたしね。

これは人材の特性なのだと思いますね。結局、ゲームにおいても移植物が多いのは、プログラムを書く人材は多かったけど、デザインやゲームそのものを作ろうというのは簡単ではなかったから、というのはあったのではないでしょうかね。コミケが二次創作が多いというのも、スキル特性が反映されているのではないかと思います。

あえてX68はなんだったのか?と考えると、「今ならオープンソースで当たり前の世界」を、まだコンシューマレベルでインターネットが存在していなかった時代に、ユーザーのモチベーションとして実現していたというのが大きくて、そこに尖っていた開発者が結構いたというのが、「ないものは作る」という言葉が生まれた理由だったんじゃないでしょうかね。高校入学の時に、どうにか志望校を公立にするなどをし、資金を確保しX68000ACEを買って、大学卒業してWindows3.1のインターネット環境に移行するまで、7年間、X68がメインマシンだったんですが、そんなに長く使えたのは、完全に100%非商用ベースのプロダクトに支えられてのことだったんですよね。

またクリエイターにとっては別にX68000は、あくまでも表現の場であって、今更依存するものではないと思いますので、今は今の世界で羽ばたいて活躍しているから、仮にX68デザインのAT互換機ケースとか出ても、懐かしいよね~で終わってしまうのではないでしょうか?

個人的には、トヨタが86という車を出した時に感じた強烈な違和感があったんですが、別に今の時代は今の時代にあるべきものがあって、あの時にはあの時に優れたものがあって、それは間違いなく、人生の中の一部分を構成するもので、すごく好きなものだったけど、今は今にあった良い物があればそれを楽しめればよいのであって、回顧して昔の思い出をひっくり返す、時間を戻す必要はないというのは、僕の個人的な印象ではあります。

それはガンダムやエヴァンゲリオンが未だに市場性を持っているという、え、まだやってんの?感と似たようなものではあるのですが。もちろん過去の作品が偉大なのはその通りとして。19歳ぐらいの頃、12/31にレンタルビデオでガンダム借りてきて劇場版を真夜中に朝まで見てたんですが、今更ガンダム見てる奴なんて日本全国でオレだけだろうなと思ってたら、全然そんなことなかった。そこから20年、お台場にガンダムが立ってる。面白いものです。

みんな、新しい世界を作るべく頑張ろう!

最後は話がそれましたw

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