みなさんが見ているものは、ホームページと呼ぶべきかWebサイトと呼ぶべきか。
プロなら正しい言葉に導くべき、という言葉はわかるのですが、そういう言葉を使う人にとって、メンタルモデルが構築できている言葉がホームページだということは無視してはいけません。
「Webサイト」は、仮想的なWebページの集合体の箱の話であって、HTMLや画像が設置されたURLの総称のことを言うと思います。「仮想的」と表現したのは、この枠組が非常にわかりにくいからです。案件単位で表現している「ホームページ」「Webサイト」の区切りは、必ずしもドメイン単位ではありません。また、特定のURLルールで決まっているわけではありません。つまり論理的な枠としては適切に存在せずに、サイトマップなどで表現される決め事として抽象的に呼んでいるに過ぎません。
また外部のWebサイトとはシームレスにハイパーリンクで繋がることができるので、その切り分けは不明瞭です。
Webサイトという、論理的には確かに存在しているが、仮想的な存在であるものを認識する力は、ITリテラシーの一つだと思います。だから、そういうリテラシーを現時点で持ち合わせてない人には、強制しない方がいいように思えます。もう少しわかりやすい枠組みの方がよいかもしれません。それがホームページなのではないでしょうか?
少し話がそれますが、僕の頭のなかでは、最近似たような事例があったので、紹介したいと思うのですが、こういうニュースがありました。
「全部自分でスキャンしろってこと?」 自炊代行「敗訴判決」に利用者から怒りの声|弁護士ドットコムニュース
「紙の本を買ったときに、何を買っているのかという問題もあります。『コンテンツが記された紙の束』を買ったのか、それとも『コンテンツ』を買ったのか。
僕はコンテンツを買ったと思っています。そのコンテンツを、自分が読みやすいような形にフォーマット変換することは悪いことなのか。僕は悪いことだと思わない。ただし、今の法律の建付けではそうはなっていない状況があります」
つまり書籍の本質とは、コンテンツなのか紙の束なのか?という話です。
僕個人の意見としては、書籍は紙の塊、電子書籍はオーサリングされたデータの集合体として扱うべきだと思っています。
本質的に摂取してる文章というコンテンツが主役なのは間違いないし、それがコピペ流通することが可能なのも理解していますが、ビジネスとして見た場合は、紙やEPubというフォーマット、そしてマーケットプレイスの存在が、コンテンツを流通させるプラットフォームであり、コンテンツに価値を与えているのは、書籍であれば紙の塊だと思うからです。
つまり、デジタル情報を無形のものに扱ったとしても、最終的にモノや商品に投影されているのであれば、そのコンテンツの価値は、商品に宿っていて、そこに価格がついていると考えます。
例えば、ある同じイラストをLINEスタンプにして売ったら1000万円売り上げました、しかし同じデータをFacebookに貼っただけでは0円でした、とします。その差は何なのか?というとマーケットプレイスの存在と、利用する文脈やデリバリーする手段としてのLINEスタンプという箱にビジネスが宿っていると思うからです。
それと同じことを考えれば、本屋さんで売られて、本屋さんが営業し、印刷し、紙に印刷可能なようにオーサリングし、という塊は、コンテンツを流通するために命を吹き込む行為であり、この価値を0円と見積もってしまうのは横暴だと考えます。
なお、それをコピーして、別のフォーマットに変換してしまう部分の是非をどう捉えるか?は僕の興味の範囲外です。これはコンテンツホルダーさんとコモンセンスとの戦いだと思うからです。
コピー容認派が昔から言ってるのは、それがファンの望む行為であり、一番、その商品を好きなユーザーをおざなりにするのか?などという、たいがいが自分勝手な理屈です。しかし、それが例え自分勝手だとしても、それを逆手に取ってビジネスになるなら、それを選択するのがビジネスというものでしょう。
だから、結局は、勢力争いでしかないと思ってます。iTunesが成功したのは、そこに経済合理性をもたらせたからであり、Youtubeやニコニコ動画でコピーコンテンツがいくらか容認されているのも同じ理屈に他なりません。全ては行動の結果やビジョンでルールを変えていくものだと思うので、どっちの試みも否定するつもりはありません。なんてことない。全てはポジショントークなのでファイトっ!と思うだけです。
・・・と話が思いっきりそれました。が、論理的な存在そのものを重視するか、目に見えてメンタルモデルを構築できる「何か」を重視するか?という点では似たような話ではないかと思うわけです。
商売の区切りにおいては、さまざまな仮想的な枠組みを作ることは多々ある話で、その商品としての枠組みを「ホームページ」と言い切ってしまうのは、そんなに気持ちの悪い行為ではないと僕は考えます。よくアップルがやりますよね。標準技術+αに自社専用の名前をつけて成功させてしまうケース。
だからホームページ屋さんってそんなにダメですかね?
ちなみに、ホームページとは本質的にはwebブラウザの初期画面のことを指すのだそうです。つまりブラウザの設定で変えられるわけですよね。全てのパーマリンクでアクセスできるWebページについては、ホームページになる可能性を秘めているので、あらゆるWebページ=ホームページと言うのは、あながち間違ってないように思えます。
ホームページって間違ってないんじゃないでしょうかね?
と、別に屁理屈を言いたいわけではなくて、Webページをホームページと言っている人を批判するのではなくて、そこの気持ちは、多くの人が抱く「メンタルモデルである」ということを汲みとった上で、適切に対応し、いいWebサイトを作るのがよいんじゃないでしょうかね。
FirewireはIEEE1394だろ!って言っても始まらないし、デフォルトの力であったYahoo! Japanというパワーが強大であったわけで、何を隠そう彼らこそ「ホームページ商売」だったわけですし、楽天市場はショップに外部リンクを許さないことで楽天市場という世界を明確に作ったのは、成功要因として無視できなかったでしょう。なにも原理主義に走ることだけが、Webのプロの発想ではないと考えます。(別にその行為が望ましいだとか思ってるわけではありません)
【PR】ご意見、感想などは是非、mstdn.fmのローカルタイムラインでお聞かせください