薄くて曲がる奴の話

#免責事項:本記事は一枚の写真で思ったことを投影しただけの駄文です

物事には、複数の要因と条件が存在して、あっちを満たせばこっちが満たさず、ということが多々ある。

iPhone6+が簡単に曲がるじゃないかって話があって、なんかbuzzってるみたいなんだけど、薄くてアルミなんだからどう見ても曲がるだろうという印象しかないのだが、その話題を見て、買おうか買うまいかとか言ってる人がいて笑った。

MacBook Airだって壁に立てかけて上から乗れば壊れるだろうし、iPad なんてガラスの塊で、いかにも割れそうなわけで、iPhone6+やiPhone6が曲がると言ってるのは、ポケットに入れたくなるからということに他ならない。

でもそこに体重をかけて曲がったら割れたりするのは、あなたの体重と乗り方如何なのだから、iPhoneが曲がるというよりは、あなたが重いから、という見方もできるがそこについては一切考慮せずかい?

まぁそれは屁理屈なのだけど、iPhoneやMacの薄さを認めて市場でOKを出し続けてきた結果の進化の果てに、曲がりやすい状況になったからだけであて、それは予想外でも、アップルの瑕疵でもないと僕は思っている。誰でも予想できる延長線にあると思ってるので、曲がるという話がbuzzるのは少し以外だった。

曲がりにくいものは、分厚くて、あんまりカッコよくない可能性が高い。

そもそも組み込み系の人から見ると、iPod,iPhoneは最初から存在自体がイレギュラーだったと思う。HDDという衝撃に弱い装置を組み込んで、壊れたら交換すれば良いというのもそうだろうし、すぐに割れやすいタッチパネル液晶のお化けにしたのもイレギュラーだったし、タッチパネルに静電容量方式を採用して爪が長い人に新しい使い方を覚えさせたのもイレギュラーだったと思う。

しかし、それはクールに沢山の人が持ち、生活そのものを少しは便利にしたと思う。

結局、手にとってもらわなくては何も変わらない。

丈夫で、壊れなくて、おばちゃんにはわからんのですよ、、、と言ったところで、手にとってもらわなくては世の中に存在しないのも同じだ。

プロダクトにせよアプリにせよ、利便性や本質の前に、注目してもらえないと使ってもらえないという大きな壁がある。

「いいものを出せば売れる」というのは、その「いいもの」という製品カテゴリが十分、コモディティ化したり市場に定着している時の参入法則と言える。

戦後、自動車や家電で追いつけ追い越せで育ってきた日本や、その後成長してきた韓国が、「先頭に立った瞬間伸び悩む」というのが、「いいもの」や「価格優位性」もしかしたら「マーケティング」で成功してるカテゴリの製品で戦い先頭に立ったものの、製品寿命が次の時代に変わる頃に「次を生み出す力」が求められて「え?え?」と、行き先に困るということでも説明できる。

どうやら、全てを満たす進化というのは存在しなくて、僕らがわくわくする「非連続な進化」と言ってる時点で、何かが進化するが、何かが退化するのは仕方ないようだ。既存の延長線上の進化は、制約も含めて連続的に存在するからだ。それを捨てることが「非連続」ということなのだろう。

最近、日本人のアイデンティだったソニーの調子が悪くなって、まるでジョブスが復帰してiMacを出す直前、ソニーが買収するかも?と言われていたアップルのような言われ方をされてる気がする。

その言説の中で、少し気になったのは、ソニータイマーと言われた機構設計の弱さに対する揶揄だ。

要するにものづくりに対する意識が弱くて、、、という指摘なのだが、視点は複数あると思う。しかし、ソニータイマーと言われる機構設計の部分は、ある意味、非連続的な進化へのチャレンジだったんじゃないだろうか。

もしアップルが没落したら、今のiPhoneに対して同じことを言われるよなぁと思って見ていた。

・ユーザーはすぐに落とすのに、全面ガラスを採用しやがって
・ユーザーはズボンに入れたまま歩くのに、すぐに曲がるアルミボディにしやがって
・バッテリーは劣化するのにバッテリー交換できないじゃないか

など。いや、そうなってたからガラケーを捨てて、買ったんじゃん、ということは忘れられて、、、ね。

まぁ確かに僕も長らくソニー製品にお金を出してきて、8万円のDATはすぐに壊れるは、20周年記念ウォークマンは持ち歩くと電池接点不良で止まるは、VAIO SRXでヒンジクターに見舞われるが相応に悲しい経験をしてきた。

しかし、その代わりに、ソニーの製品にカッコよさを見出して、お金を出し続けたという事実は存在する。

Let’s Noteみたいにすごく丈夫で、安心できて、という製品が存在される一方で、どこか薄弱、限りなく自己責任で扱う、けどスタイリッシュなVAIOしか選べないと思う時代があったのは間違いない。

最近、ソニー製品は丈夫になって、ソニータイマーと言われなくなってきた気がするが、その反面、何かが失われていたりするのだろうか。

iPhone6 plusに関しても、自分でもいくらか惰性で使ってるかな?と思う半面、かと言って、非論理的にAndroid機を常用したいとは思ってない自分がそこにいる。いくらスペックを比較されても、文化が違う国と国力を比較しても意味が無いように、そこに魅力を感じない部分がある。

(というか、Androidは特許で押さえられてるところも含めてiOSのヌルサクに追い付くためにスペックを上げて対策してきたわけなので、それはAnroidが生き残る方法論。iPhoneとAndroidをスペックで比較するのは、そもそも間違っている。iOSが優れた燃費性能を発揮しているからこそ良いモバイルOSであったということが完全に忘れられてる。まぁAppleもハードメーカーなので、そこでは負けてられないようで、いい感じにひっぱられてるのがiPhone6ではないだろうか。理想論よりも競争が優先される。悲しい。でもお金があれば新しいことやれるんでね。だから「今のままでいい」というのは、ITの世界では通じないのだ。まして、小さくてモバイルだから、壊れてはいけない、丈夫でなくてはいけないという保守的な組み込み系の世界に突きつけられたPC的進化のパラダイムだったと思う。)

何のオチもない駄文なのだが、要するに、

「iPhone6+が曲がる?」

「そりゃそうだろ。見りゃわかるだろ、今さら驚くなよ。」

ということが言いたかっただけです。

p.s.5Sを買った時に、これ割りそうだなと思ってアップルケアに入りました。ズボンに入れたまま座るの厳禁という危機意識は5Sの頃から抱けたはずだと思うのが僕の意見。
p.s.2.そんなことよりも、歩きスマホができないので来週は5Sに戻してみようかなとか思ってたり。利便性とモバイル性の両立って難しいよね。iPhone6も使ってみたいw

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