はてなにある「うちらの世界」

昔、はてなダイアリーとはてなブックマークを見ていて、こりゃ面白いわと思ったことがあって、僕がそれまで経験してきたネットのパターンだと、絶対に感情的に叩かれる高学歴トークというのが、はてダの中で共感を得てまかり通っていたこと。

そこでは高学歴特有の悩みの話もあれば、やっぱりその隙間にちらほらある勝ち組的視点ってのがあって、そこがハナについて感情的に叩かれちゃったりするんだけど、その時は、そういう流れは一切なくて、うわー、ここは新しい世界だ!と思ってました。

それって例のコンビニ店長が書いてた「うちらの世界」と同じようなものを見た気がしたんです。

ただ別に悪いことはしてないし、その内容に法律的な問題があるわけではないので、職場に電話させるような正論のツッコミどころはありません。また感情的なツッコミどころを誰かが突いたとしても、みんなが嫌な気持ちになるかもしれないけど別に「何も起きない」です。

で、その上で思うんですが高学歴トークで、もし感情的に突っ込まれる系の話があるとすると、それって「お金持ちトーク」であることが多いんじゃないですかねぇ?!

地方都市で、低学歴と高学歴の世界が交わるとき

を読んでて思ったのが、その成果としての高学歴が故の何かがそうさせたというよりは、自分や同級生の人たちが違ってたのは「生活レベル」ではなかったのだろうか。

確かに頑張って難関の学校に合格したという成果は間違いなくあるが、それ以上に、そこは親に感謝するところなんじゃないかなぁ。

で、その上で、あえて以下の話に乗ってみますが、

今の日本社会で仕事をするうえで、この「低学歴の世界」とのお付き合いは、「高学歴の世界」の人にとっても、避けて通れない場合が多いです。特に、その仕事をする組織が、有力で大きい組織であればあるほど。だから、「低学歴の世界」を早い時期に垣間見ておくのは、それはそれで意義あることだと思いますし、銀行とか証券会社とかメーカーとかが、採用した大卒社員を、どんなにエリート候補でもいったんは現場に出すのは、要は、その「低学歴の世界」を若いうちに見て来いってことだと、私は理解しています。

そこで必要なのは「見て来い」ってことじゃなくて、そういう人たちと「うまく付き合えるようになりなさい」ってことだと思うのです。

大企業が大企業たる部分はさまざまな人たちと一緒に仕事をするからこそ、規模が大きい会社である必要があるわけで。もし賢いエリートだけで高い利益を叩き出せる会社なら、会社に規模はいらないんじゃないでしょうか?

また別の人のエントリーにおいても、

高学歴と低学歴を分ける「好奇心」という能力

ゆえに高学歴と低学歴という言葉を使うなら、それらを分けるものは好奇心の有無だと僕は考えています。

自分の世界と他の世界の差を意識しないで、変なツイートをしてしまうのもリスクといえます。かつては高学歴と底辺の世界は交わることはなく、お互いを認識できていなかった。その両者が過激な形で交わり、高学歴の人達がその存在に驚嘆しているのが一連の騒動になります。

このように高学歴にはコストがあり底学歴にはリスクがあります。

特に学生であれば、そりゃ自分のアイデンティティを学歴に結び付けたくなるのはわかりますが、それにしても自信満々な感じが面白い。前のエントリーの人が「低学歴」と表現する人たちとの関係性が、いじめっ子といじめられっ子になりかねない緊張関係を前提としているのに対して、こちらは完全に世界が断絶しているらしい。好奇心が足りないから低学歴なんだと言い切っている。

でも少なからず家庭の事情なども加味できたら、そこで「低学歴」とは単純には書けないんだよねぇ。もちろん、それだって優秀なら奨学金でどうにかするハズってツッコミはあるかもしれないけど、それはどれをとってもケースバイケースにもなるので、どうとも言い切れないのであんまり触れたくないってのが正直なところ。結果的に頑張って成功した人を褒めるぐらいしか手がない。

必要条件と十分条件の捉え方の違いかな?!と思ってみたが、コメント欄のやりとりを見てると、そんな感じではなかった。

ガジェ通に寄稿したって書いてあるけど、はてなの「うちらの世界」から外に出た時に、すげー叩かれそうな予感がするがどうなるのかな。良いようにガジェ通にPV稼ぎに利用されるだけじゃないと良いけどと思いつつ、忘れなければ注目しておこう。

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