ネットの欲求の全てを承認欲求に結びつけるとおかしくなる。

Facebookのいいねは、本当に承認欲求なのだろうか?!
ページビューが上がることを望むのは承認欲求なのだろうか?!
Instagramにスタバの写真をアップすることは承認欲求なのだろうか?!
ソーシャルゲームは本当に承認欲求を求めてお金をつぎ込んでいるのだろうか?!

承認欲求という言葉は、カジュアルに使うにはいささか重すぎるような気がする。

と、思ったら、この辺の話は完全に既出でした。

承認欲求そのものを叩いている人は「残念」 – シロクマの屑籠

もっとピュアに情報発信や自己表現したい気持ちを尊重し受け止めましょう。

ゲームをやったり、既に流行ってるサービスに情報を発信するのはノーリスクに何かを求めているだけなのかもしれません。
ただノーリスクはノーリスクでレイトマジョリティは、アーリーユーザーと比べて注目されるのが難しいという足かせを常にはかされているユーザー層です。

ユーザ母数と、周辺の人のカバレッジが高まったことで、ソーシャルベースのクローズドサービスの方が流行ってきているとは思うのですが、問題は全く新しいサービスを作るときのことです。

人から承認されないリスクを負ってまで承認を求めるのはなかなか難しい話ですが、「新しいサービス」には必ずそのリスクがついて回ります。一瞬で成功するサービスもあれば、コミュニケーションサイクルが成立するのに時間がかかるサービスもあります。

しかし、新しい情報発信サービスを提供するのであれば承認欲求だけでは説明できないことがあることに着目する必要があります。
おそらく、それを信頼できなければサービスをゼロから立ち上げるのは不可能です。

成功したサービスを使うユーザー行動を揶揄するのに「承認欲求」で説明するのは簡単です。
しかし、果たしてそれだけでいいのか?!は常に考える必要があると思います。

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