人が集まる空気の新しい形

以下facebookに書いてみたが予想外に雑多すぎたので、こっちにてメモしておく。
故に、支離滅裂につき失礼。

・「あっ安部礼司」は、日産のビジネスに寄与したのかというのをちらっと考えてみつつ、モバイル体験型の世界は土地回帰に繋がるので場所を持てるところに戻っていくんだろうなぁと思った。昨年末に横浜でやった安倍魂の楽しさを文字で説明するのは僕には無理だった。そう文字で説明できないけど「なんだか楽しい」。知らない全員が、飯野君の恋愛の成就を祈っているという面白い場所だった。途中でお腹すいてカフェに抜けたんだけど、外でRadikoで聞くのと日産グローバルギャラリー内でRadikoで聞くのは全然違った。当然会場内の録音はもちろんんおこと。主体性、主観性?言葉が思いつかないけど、距離感なのかな。8時間会場で聞くのに応募した人たちは常に現場だったからわからないと思うけど、僕みたいな「ちら聞き」客の方が、身体性でバリューを感じられたんじゃないかと思う。(なんか日本語が意味不明だ)

・距離感すごく大切。「そこに存在する感覚」

・ツイッターのタイムラインでわかったのは、全員のアクティビティを可視化したらとてもじゃないけど処理しきれない。全員が並列に24時間、タイムラインを持ってる。どこをどうやって切り貼りするか?!がコミュニティデザイン。

・僕はリアルタイムに宗教の進化を感じる機会を知らないけど、キリストが目の前にいたら、どう思ってたのかな。新興宗教だったら麻原彰晃がどうなるか?ってのを固唾を飲んで見守るってのもそういうのだったのかもしれない。野球の日本シリーズを見ていたり箱根駅伝やワールドカップを見るってのもそうなのかもしれない。でも、ストーリーに必ずしも意外性は必要ないのかもね。ストーリーは頭の中で補完可能。誰もサイレンススズカが死ぬところをなんて見たくなかった。でもただの馬が好きってなんだよ。馬の名前に恋してる。メンタルモデルのような世界観が頭の中に構築できればひたれる。パチンコもアニメが乗ってからビジネスが変わったとも聞く。バーチャルに夢想できるのは、テレビゲーム、アニメ時代に得た僕達の特権なのかもしれない。

・大人になってもガンダムごっこをやってるイメージ。コスプレなんかもそうなんじゃないかな?!どうなんだろう。でも、ニコ生にしてもツイキャスにしても特定のフォーマットをまとってる気がする。あれは型に対するロールプレイと、オリジナリティ。新しいフレームワークの上で、個性を発揮する力と順応する力って若者の特権のような気がするわ。

・僕ってJPEGが出てきた時ってもう大人だったんですよ。初めてフジのデジカメのDS-7を買った時、もう社会人だったし。だから写真は高価で面倒くさいものだった。少なくとも学生時代に写真を日常的に撮る週間がなかった。だからかカメラの前で自然な顔をするのが苦手。固いんじゃなくて、どういう表情をしていいかがわからない。プリクラ世代の子とは写真映りの仕方が全然違う。今の10代はさらに動画に対する身のこなしができてる。変顔とか。

・ニコニコ超会議が幕張メッセで千葉市が協賛する。場所は持っておなくても大丈夫?金はかかる。展示会、博覧会は進化して復活した。そこには「空気」が必要。集まる理由とも言うか。「集まり」「緩いコンテキストの共有」という楽しさが生まれてくる。「場を持つ」というのは資本家のビジネスなので、そういう時代に移っていくということなのかも。でも街コンというすでにある不動産、資産を活用するアイディアもあったので、可能性は無限かもね。

・多分、高度成長期の日本は、みんなが裕福になるという特定のコンテキストを共有していたのだろう。バブル以後はそういうのなくなったけど、聖地巡礼、コンテンツの空気、宗教、TGCなど、新しい形で復活している。

【PR】ご意見、感想などは是非、mstdn.fmのローカルタイムラインでお聞かせください