奨学金取り立ての現場
dropoutで見た、この動画。ちょっと考えてみた。
そもそもの奨学金とは?!
世界的には先進国では奨学金は通常返済義務がない給付奨学金をいう。しかし日本の場合は貸与奨学金であり、米国を例にとれば給付奨学金(grants, scholarships)ではなく、学生ローン(student loans)と呼ばれるものである。米国では、学生の大半は「学生ローン」を利用しており、「奨学金」を併用している学生も多いものの、金額ベースでみると「学生ローン」の方が利用が多くなっている。
奨学金の種類
・大学で運用している学内奨学金
返済が必要な大学とそうでない大学がある。
(早稲田や慶応には返済不要の奨学金がある。)
・日本学生支援機構が定義しているのは「奨学金事業」、事業と定義付けていることに注目。返済金が次なる奨学金貸付の原資になる。
「第一種奨学金」 無金利で借りられる。返済が必要。本人の成績及び経済状況により選考される。
「第二種奨学金」 金利あり。教育を受けたいと思っている人が借りられる。借りられる金額も第一種よりも多く、市中の金利よりは安い(年利3%程度)ため、こちらの貸出規模が急増。
昨今問題になってるのは、「第二種奨学金」に対する問題ということになってる。ここを履き違えるとそもそもの問題を取り違える。
あと、第一種奨学金も金利は付かないまでも元金の返済義務はあるわけだが、そっちの人は問題ではないの?!という疑問がついてまわる。
奨学金の原資
原資についてちょっとぐぐってみると、
学内奨学金では、基金の利息や大学の経常費の一部を奨学金の原資とするのが一般的
引用元:早稲田ウィークリー
その他、企業から寄付金や、自分たちの事業から得られる利益を原資に回す。
あと。日本学生支援機構については、返済金が次なる奨学金の原資になることから、返済が滞っていくのは、奨学金事業の継続に深刻な影響を与える(らしい)
もし影響を与えるなら、年金と同じで、前の人がお金を返さないと後の人がとばっちりを受けるという国の成長を前提とした仕組みではあるのだと思う。その余力があることが先進国の証であるならば、その余裕をどこからか奪ってこないといけないというのは理解できます。税金で高校や大学を無償化したとしたら、それは国が原資を税金から支払ったということであり、社会起業家みたいな人が経済合理性で解決するなら、イノベーションを持ってして教育環境を改善したということであり、素晴らしいことなんですけどね。
教育が難しいのは、教育に対するROIが必ずしも保証されていないことですね。今回の問題も大学にいけさえすれば、収入が確保できて借りたお金が返せるのであれば何も問題がなかったハズ。高度成長期であれば、優秀なサラリーマンを量産することで社会全体が受け皿を持っていたので、学歴=収入という図式が成り立ったんでしょう。
もし今の段階で、ビジネスに対して、明確に学歴と成功の関連性が見えるなら、教育をとにかく受けさせて、外貨を獲得するビジネスマンを生産すればよいわけで、それこそ無償で学費をあげても、10年後に社会全体で元が取れるという流れになれば拡大再生産ができるわけですが、現実にはそんなに甘くはなく、一般教育という意味では義務教育で十分という現状なのでしょう。そもそも製造業における中央研究所問題もそうですが、中長期的な視野の投資って、なんだか苦手ですよね。
第二種奨学金について
日本学生支援機構による奨学金の貸与額の推移のスクリーンショット
無金利の第一種の成長率が微増に対して、金利つきの第二種は急成長している。
そもそも3%が妥当か否かに限らず、第二種は、第一種に対して利息を取るということは、貸し倒れのリスクもある程度見込んでいるわけで、今問題になってるのは、予想の範囲内の話だったのか、そもそもの仕組みが成り立たないぐらい大きな話なのかは気になります。金利の計算方法はしりませんが、すごい適当ですが33人に1人ぐらいは返せない可能性を見込んでるってのが3%という金利の意味なんですかね。それじゃ儲かりませんけど。
何せまだ収入がない学生に、数年後の未来にかけて借すお金なので、極めてアンコントローラブルな景気変動などに左右される可能性は極めて高く、今の時代、事業としてリスクが高い。それは利子を取ろうが取るまいが同じことでしょう。
じゃぁ、この奨学金をなくせば済む問題なのかというとそれも違う。当然、市中の金利よりも安くお金を借りられるという事実は依然として残り、借金というリスクを取っても勉強したいという人にとっては神となる仕組みでもあるので、返せないという事実は、返すアテが見つからない学生にとっても、お金を貸している側にとっても極めて悲しい状況と言える。
奨学金ではなく奨学金ローン(student loans)と言えってのは正しいと思います。それが貸す側にとっても長期的にハッピーなんじゃないでしょうか?!そうもいかない事情があるならともかく。
個人的に思うこと
・お金がないから就職するなどと言った現実的な選択ではなく、やりたいことを貫いた結果そうなった、という部分における自己責任論は言われてしかるべき。それが親なのか自分なのかはさておき、誰かが契約書を読み、判子は押しているハズ。
・もちろん払えないものは仕方ないという現実に戦うのは理解できる。
・が、大学に行った結果のROIが見合わないから奨学金が悪いというのは筋違いのような気がする。
ひそかにこの映像の論点が見えてないのは、どこぞの営業マンがやってきて、金利があったのは知らされずに騙されて契約したということなのでしょうか?!それならまだわかるんだけど。
・年利3%の金利はそんなに高くない。でも大学に行くことはBMWの5シリーズよりも高い買い物になるケースもあり、先の見えないベッドをしたという意味では、確かにリスク高い賭けなのかもしれない。しかし、多くの学生は、うまくやってることを考えるとよくわからん。dropoutというメディアにはあってる話だ。
何故こうなるんだろう、もしくは、どうやったらこうならなくて済むんだろうと考えてみる
1つは、自覚が足りない、覚悟が足りなかったんだろうなと思います。これが結果としての自己責任論に通じるところですが、それを責めたいわけではありません。大人の階段を登ったら、思ったより現実が辛かった、ということなのだと思います。
結果的に貸与型の奨学金でやってることは、やりたいことを実現するために借金して起業して未来に投資したけど、結果うまくいかなかったよね、というのと同じだと思うんですよね。
ただ、だからこそ諦めて就職しろ、チャレンジするなってのも違うと思うんです。借りたものは返さざるを得ませんが。
現実的であればあるほど保守的になっていくので、そもそも大学に行かないという選択肢を取る可能性が高くなる。でも社会は、若者にはチャレンジして欲しい。だから裏腹なんですよね。日本学生支援機構が第二種奨学金を正当化できるのは、今の社会の仕組みにおける現実的なチャレンジに対する解決法だからなんだと思います。
もちろん、チャレンジに対してもっと寛容であるべきって言葉は理解できるので、もしそれに本当に社会的メリットを見いだせるなら、税金でもなんでもいいから原資を用意してくださいって話になるんですが、今のところそういうのが見えてない以上、第一種だとか、そもそも返さなくても良い奨学金が存在して、そのパイに入れなかった人が第二種を受け入れているという現実がある限り、そこに対して安易な批判はできないハズです。
あとは金融リテラシーの教育はもっとあっても良いのかなと思いました。やりたい夢が実現できなくて、経済的に賭けてきたものが辛くのしかかっているという現状に対し、やりたいことに突っ走る前に、実現可能性の部分と、それが失敗した時に、どう辛いのかという判断力のために、ビジネスの教育みたいなものはあってもよいのではないかと思ったりもします。正確に言うとお金と時間の教育なのかな。だって京大に行ってる人が、借金なんかしたくないのに、って言ってしまってるわけで、それってどうしてもツッコミポイントになっちゃうじゃないですか。
よく中高でビジネスの教育を導入する話をすると、やれ拝金主義だとか批判が起きますが、社会に出た瞬間にすべての契約は自己責任になるので、それに対する判断力の道具は渡しておいてもよいのではないかと思います。
あとは、大学に行かなくても成功できるロールモデルをもっと増やせると良いですね。今のITなら、まだできると思う。10年後はわかりません。
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